プルースト『失われた時を求めて』 (まんがで読破)(バラエティアートワークス イーストプレス、2009)
感性が覚醒する小説
120万語から成る大長編小説(1913-27)。脳が覚醒する小説というのがあるが、本書は似ているようでちょっと違う。感性が覚醒する小説といえる。皮膚感覚といってもよい。ただし、それは頭脳に劣らない。皮膚は露出した脳ともいわれ、いまだ知られざる未知の能力を秘めている。この能力も援用しつつ多元的な角度から人間の生の根底を探る小説である。
その覚醒の瞬間を呼起こすのがハーブティーに浸して食べるマドレーヌである。これにより開かれた感覚の回路は感性の奥深くに眠る幼時以来の豊穣な記憶を解き放つ。この記憶が現実の認識に深部から影響を与え、それが生の把握の仕方を変えてゆく。それがまた現実に裏切られる過程をも描き、最後まで読者を捉えて離さない魅力が本作品にはある。
三大主題
本小説の三大主題が社会的成功、愛、芸術として、それを本書のようなマンガで描ききることができるかについては意見が分かれるだろうが、その本質的な香りは味わえる。しかも、感動を与える。
この三要素に身分、性、文学、音楽、宗教、人種、戦争などがいかにもヨーロッパ的にからみ、20世紀初頭のフランスに集約的に現れる相として見事に描かれる。語り手の「私」は作者マルセル・プルースト(1871-1922)を濃厚に反映する。
夢幻的時間の回廊
まぐさ喘息もちのプルーストはカフェオレを好んだというが、飲料に対する嗜好は単なる嗜好でなく、生きることと深く関係しており、微妙な芳香の差におそらく敏感だった。香りや音が皮膚を通してある回廊をひらき、その回廊で通常の時間とは別の夢幻的時間が流れだす。
プルーストのこの書き方を井上究一郎は「超時間的印象主義の手法」と呼ぶ。プルーストの記憶に刻まれた高等中学時代のオートゥイユ(パリ近郊)やイリエ(シャルトル近郊)は作品の舞台となるコンブレーの雰囲気を作り上げる。
このマンガで一つだけ解せないことがある。最終章が「失われた時を求めて」となっているが、元の本では「見出された時」なのに、どうしてこういう題にしたのか(私が読んでいる Moncrieff, Kilmartin, Mayor の英訳 Remembrance of Things Past で 'Time Regained')。