女性作家の作品で女性が「用を足す」場面が印象に残る小説はめずらしい。評者が知る限りでもあと一つしかない(ジェニファ・イーガン)。
この「用足し」が小説の中の重要な場面に現れる。たいがい、主人公の女性とその先生とが、微妙に交叉しそうで交叉しない場面で、妙なタイミングで主人公が便所に行く。その結果、ふたりの関係が進展するようにみえるときもあれば、表面上はあまり関係ないように見えることもある。どうにも不思議だ。
この女性は30代後半の独身女性。先生はかつて古文を習った恩師で高齢の独身男性(60代後半か70代)。このふたりが偶然、駅前の飲み屋で出会ったところから交際が始まる。
男女がぎこちなくデートするときに用足しに中座するというのは、その中座する人が、心中、ある種の緊張をかかえていることを表すのか、それとも単なる生理現象か。
作者の描き方を見ていると、そのへんが微妙で、読んでいるほうも、その必要はないのに、なんだかどきどきしてくる。
このふたりの関係は、だいたいにおいて雲をつかむような感じなのだが、実体がないかというと、そうでもなく、その手ごたえが確かに感じ取れるような文体になっている。最後のほうに、ふたりが肉体をともなわずに出会う夢幻的な場面が現れるが、それは明らかにその場の空気をまぼろしのように描こうとしている。ふつうだと、写実的な小説にそんなシーンが現れてはおかしいのだが、本小説の場合、それほどおかしい感じがしない。あくまで自然な流れに感じられるのだ。
英訳されて、米国と英国で別々の題で出版されている。これがなかなかの評判のようだ。翻訳されても川上弘美の文体が、あるていど、伝わっているということなのだろう。