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「真空」の物理学が数十年のときをへて

保江邦夫『神の物理学』海鳴社、2017

神の物理学

本書は葦原瑞穂『黎明』の第2章を理論物理学者の立場で書換えることを企図して書かれている。さらに、松井守男画伯の貴重な絵をカラーで収めている。

素領域理論(Elementary Domain Theory)は湯川秀樹博士が晩年に提唱した物理学の理論だ。その後、著者を含む湯川門人たちや数学者・岡潔や浄土宗光明派僧侶・山本空外らとの議論や理論化をへて現在に至る。特に、著者・保江邦夫が1981年に発表した保江方程式(下)が素領域理論に数式を与えたものとして重要である (Kunio Yasue, 'Stochastic calculus of variations', Journal of Functional Analysis, vol. 41, issue 3, May 1981)。

 

保江方程式

ここで、L は Lagrangian, Dx は 平均前方速度、D*x は 平均後方速度。この方程式からはシュレーディンガー方程式(1926年)を導くことができる画期的なものである。



本書は緊密な文体で素領域理論について記述し、巻末には保江が自身の理論的枠組の形成において最大の感謝をささげる中込照明の唯心論物理学の抽象的理論「モナド論的あるいは情報機械的世界モデルと量子力学(数理的考察)」が付録として収められている。全体で190頁に満たない書物であるが、密度は濃い。


1 完全調和の真空あるいは神
本書では〈基礎理論物理学において「真空」を解明していくときにそれを「神(かみ)」と呼び、また真空が示す様々な性質のいくつかを「神意」や「愛」あるいは「情緒」などと表す〉としている。

この「真空」は「空(くう)」のことであるが、禅宗黄檗宗総本山の釈迦像の頭上に掲げられた書の「真空」を採ったものである。本書では〈存在するものは完全な調和のみという状況を考え、それを「空(くう)」と呼ぼう〉とまず述べる。

これらの用語は、従来、そこになにも存在していない「無(む)」と同一視されてきた完全調和の真空を基礎理論物理学の考察対象とするにあたり、区別するためにもちいられている。つまり、本書において、真空は無ではない

〈物理学を離れ形而上学に参入するならば、完全調和のみの真空の状況はまさに神の世界、あるいは神のそのものといってもよい〉との考えから、「神」の語が使われている。

議論を先走るようであるが、物理学の論文で「神」の語は使えないため、従来は別の言葉に置換えられてきた。例えば、「抽象的自我」(数学者フォン・ノイマン)や「神の覗き穴」(物理学者・数学者アイザク・ニュートン)など。

「愛」と「情緒」の語は、数学者・岡潔の〈空間というのもが「愛」の充満界であるからこそ、そこに生きる人間は「情緒」を最も大切にしなければならない〉という考えに基づく。

湯川秀樹は〈数学者ならばこそ許される岡潔の「愛」を理論物理学者の言葉である「素領域」に置き換え、「空間」が無数の「素領域」によって構成されているという「素領域理論」を提唱した〉という。



このように、素領域理論は理論物理学だけでなく、数学や形而上学などのさまざまな領域からアプローチすることが可能である。著者には数式をまったく使わずに素領域理論を説明した書物もあるが、本書では理論物理学の立場からストレートに扱っている。

「神の物理学」のような表現に抵抗を感じる場合は、単に「真空の物理学」と解していただければよいと、著者はことわっている。


2 完全調和の自発的破れとしての素領域と素粒子
2節でもまだ数式は出てこない。しかし、非常にスリリングで、素領域と素粒子の関係について、初めて明確な像があたえられる。

2節の主題「完全調和の自発的破れとしての素領域と素粒子」について、数学的および形而上学的なアプローチがなされる。理論物理学ではふつうは数学的アプローチどまりであるが、形而上学的なアプローチも加えているのが本書の大きな特徴である。南部陽一郎博士の対称性の自発的破れ (spontaneous breaking) が用いられる。



真空に存在する完全調和が一部で自発的に破れる場合を想定する。その自発的破れは数学的には1次元、2次元、3次元、4次元、5次元、等々、極論すれば無限次元の存在と考えられる。

〈複数の自発的破れが同時に発生する事象は確率論のポワソン分布に従う〉ので、この場合は、3個となることが最も確からしい。つまり、〈真空の中に生じる完全調和の自発的破れの大多数は泡のごとき3次元の立体領域の形を取る〉ことになる。その各々を「素領域」と呼ぶ。本書では考察対象の3次元素領域を単に素領域としておく。

〈こうして真空の中に生じた自発的破れとしての素領域の全体を「宇宙空間」あるいは「空間」と呼ぶ。即ち、「空間」の構成要素が「素領域」に他ならない〉。



もともと真空は完全調和のみが存在していた。〈そのごく一部に完全調和の自発的破れが生じたときにはその破れた完全調和が速やかに復旧するような流れ〉が生まれるが、その性質を「南部・ゴールドストーンの定理」と呼び、その流れを「ゴールドストーン粒子」(Goldstone boson) と呼ぶ。

形而上学的素領域理論においては、このゴールドストーン粒子を「復元エネルギー」と呼ぶ。



ここからがおもしろいところであるが、〈復元エネルギーは自発的破れが生じている部分である素領域にしか存在できない〉。ただし、〈真空の中に完全調和の自発的破れとして素領域が多数発生している場合には、一つの素領域から他の素領域へと転移する〉ことも考えられる。

この〈素領域から素領域へと跳び移っていく復元エネルギーを、素領域理論においては物質の最小構成単位である「素粒子」だと考える〉のである。

初めてこれを聞いた時は興奮を抑えられなかったのを覚えている。素粒子には、ヒッグス粒子、電子、クォーク、光子、ニュートリノグルーオンなどの区別がある。

2節の終わりに松井守男画伯の絵「Universe (3)」(京都・大原三千院所蔵) が2頁にわたって収められている。まさに素領域を視覚化するとこのようになるのではと思われるような絵だ。

婦人画報」の 大原三千院探訪記事 に同画伯の「両界曼荼羅」の写真があった (下)。現物を見ていないので何ともいえないが、この屏風絵の上半分が本書に収められた「Universe (3)」によく似ている。

両界曼荼羅




3節以降は数式がふんだんに出てくる。ここに簡単に書き表すのが難しい数式の場合はふれられないが、以下、簡単に紹介する。


3 量子力学と場の量子論
素粒子が他の素領域に転移する場合に「運動状態」にあるというが、それを記述するのに二種類の手法がある。

第一の手法は、一つの素粒子に着目してどの素領域に順次転移しているかを追う。台風の伴走観測に似ている。n番めの転移先の素領域を ξn として、転移先の素領域の系列

X={ξ0, ξ1, ξ2, ξ3, ..., ξn, ...}

で表される (数字は下付き文字 subscript[以下同様])。〈素粒子の運動をその運動経路に着目して記述する理論的枠組みは「量子力学」と呼ばれる〉。



第二の手法は、それぞれの素領域に着目してそこでの素粒子の存在の有無を順次記述していく。台風の定点観測に似ている。真空の中に生じた3次元の素領域の全体を集合

Ξ={Ξ0, Ξ1, Ξ2, Ξ3, ..., Ξn, ...}

と記述する。このとき各素領域 Ξn(n=0, 1, 2, 3, ...) に存在する素粒子の数を N(Ξn) とすれば、素粒子の運動状態は数列

N={N(Ξ0), N(Ξ1), N(Ξ2), N(Ξ3), ...}

の変化を追えばわかる。素粒子の形態が複数ある場合には、形態Aの素粒子に添え字 a を導入して、形態A ごとにその素粒子の運動状態を数列

Na={Na(Ξ0), Na(Ξ1), Na(Ξ2), Na(Ξ3), ...}

の変化として捉えられる。〈これを素粒子Aの運動断面と呼ぶ〉。〈素粒子の運動をその運動断面の変化として記述する理論的枠組みは「場の量子論」と呼ばれる〉。

素粒子の数が変動したり無数の素粒子の運動を解析する場合には「量子力学」ではなく「場の量子論」を用いることになる〉。つまり、高エネルギー現象には「場の量子論」(quantum field theory) が向いている。素粒子が変動せず、数も種類も少ない場合にかぎり「量子力学」(quantum mechanics) が有効である。



台風の譬えでいうと、台風が変化したり、多数の台風が移動してゆくような局面では「場の量子論」が有効だということだ。


5 時間と光速度
4節のスカラー光子 (クロノン) をふまえて、素領域理論がいかに深く、すぐれた理論であるかが如実に示されるのが5節だ。スカラー光子 (クロノン)は「距離」と「時刻」を定めるときの基本になる。

それぞれの素領域の外側は完全調和である〉ことがまず指摘される。その外側に〈接して存在するすべての素領域は、完全に一つに同期される〉。

4節と5節とをつづけて読むと、〈この「宇宙空間」においては「光」よりも速い速度で「空間」の中を移動することはできない〉ことが、素領域理論の立場から完全に得心させられる。〈この事実を原理として仮定したものがアインシュタインの「相対性理論」に他ならない〉。

つまり、〈湯川秀樹博士の素領域理論はアインシュタインの相対性原理の基礎を与える、より深いレベルの物理理論〉であることが明らかになる。

ここまでくると、そのあまりのすごさに感銘を受けざるを得ない。


7 水素原子の内部運動と量子力学
6節の水素原子をふまえて、7節は著者が〈人類の金字塔〉と呼ぶ、エルヴィン・シュレーディンガーの研究にふれる。水素原子の内部運動を初めて正確に記述した論文を1926年に発表したのだ。その理論体系は「量子力学」と呼ばれる。

7節の45頁から48頁にかけてのシュレーディンガー方程式をめぐる数式の展開は、見る人が見れば、理論物理学の精華ともいえる考察だろう。



シュレーディンガー方程式が線形であることから生じる問題(シュレーディンガーの猫など)を著者はよく指摘するが、48頁に線形の説明がある。

H(aψ+bφ)=aHψ+bHφ

のごとく〈波動関数ψやφに対する定数倍と和を保存するように作用すること〉が、線形に作用することである (H: Hamiltonian)。



〈原子や分子の内部運動をシュレーディンガー方程式を基本として記述する「量子力学」の理論が成立する背景には、原子や分子を構成する素粒子の運動が素領域から素領域へと転移していくエネルギーに他ならないとする素領域理論の観点があるということを忘れてはならない〉と著者は記す。

〈今さらそのシュレーディンガー方程式自身が湯川秀樹博士がたどり着いた空間の微細構造から導き出されることを示したところで、物理学の応用にはなんの助けにもならないのは事実〉と著者は謙遜するが、それ自体が理論物理学上、大変な成果であることは間違いない。

かくて、冒頭に示した保江方程式は本書には出てこない。謙遜にも程がある。

 

 

 

 

 

フルベッキの名は聞いたことがあったけど……

保江邦夫『語ることが許されない 封じられた日本史ビオ・マガジン、2020

『語ることが許されない 封じられた日本史』

タイトルに「日本史」とあるが、実際はこの6000年の世界史。特に焦点を当てるのが日本の霊的防衛

霊的防衛は令和の日本で喫緊の重要性があるが、本書で語られるのは、主としてこれまでの歴史。

日本史のなかでも特に明治天皇大正天皇昭和天皇今上天皇に関わる霊的防衛の実態の一端が明かされる。

それが近景。背景に6000年前のエジプト、2000年前のキリストが見え隠れする。

表の歴史では語られていないことが中心になるが、この裏面史の情報源は、日本に関しては秘匿を要する事情により本書では殆ど名指しされない。エジプトとキリストの関連は一部公刊された書物に基づく。



荒唐無稽な与太話と片づけるのはいつでもできる。しかし、本書中のいくつかの事情は、著者のいう「大公開」時代(2018年末以降)になって初めて明らかにされるものが含まれる。これらが本当のことであるならば、日本と世界にとってとんでもない重大な意義を有することになる。

この種の裏面史では、往々にして、不可思議な出来事を縷々あげて、そこから背後を匂わせるものが多い。だが、本書の行き方は逆で、本当の事情ないしことわりをまず述べ、そこから数々の一見不条理な出来事が出てくる筋を導く。著者が物理現象の基本原理を考える理論物理学者という人種に属するがゆえだろう。



収められた文章の文体についてひとこと指摘しておく。本書の文体は簡潔であり、全体にコンパクトにまとめられている。これは、おそらく刊行元のビオ・マガジンの編集方針によるものであり、ひいては編集者の有園智美さんの裁断の力が大きいのだろう。

その結果と思われるが、誤植のたぐいがきわめて少なく、読みやすい。それはよいのだが、コンパクトな記述にしようとするあまり、中心事情の周りに附随する多くの情報がカットされている。これはもとの原稿からそうであったのかもしれないが、結果としてそうなっている。そのため、読者が事情をありありと眼前に想像で膨らませるには、やや足りない。そのあたりは、他の資料や、著者の他の著作にあたる他ない。



本書が基礎文献の一つとしているカレン・L・キング『マグダラのマリアによる福音書エスと最高の女性使徒(河出書房新社、2006) について。市場で高値のつく稀覯書となっている訳書だが、その原書から知り得たことを補足しておく。

 

Karen L. King, 'The Gospel of Mary of Magdala: Jesus and the First Woman Apostle' (Polebridge P, 2003)

Karen L. King, 'The Gospel of Mary of Magdala: Jesus and the First Woman Apostle'

 

マグダラのマリアによる福音書』そのものは、キングの序文によると、18 1/2頁の短いものだが、そのうち最初の6頁と真ん中の4頁が失われている。つまり、半分以上が失われている (Codex Berolinensis 8502)。これは原著(ギリシア語)のコプト語訳で、1896年にカイロの古物市でドイツの Dr Carl Reinhardt が購入した。売った業者によると、発見されたのはエジプト中央部の Achmim であるという。5世紀のパピルス・コーデクス(コーデクスは本の前身の形態)であると判った。

 

もうひとつ、『マグダラのマリアによる福音書』のギリシア語断片 (Papyrus Rylands 463) を1917年に Rylands Library (Manchester, England) が入手している。エジプト北部の Oxyrhynchus で発見されたもので、3世紀初めに属する。これはコーデクスの断片で、同福音書のマリアが受けた啓示の結論部分と、弟子たちのマリアの教えに対する論争の始めの部分とを含む。そのあと短いギャップがあって、議論がつづき、レヴィ(マタイ)が福音を告げに出発するところで終わっている。Codex Berolinensis 8502 と比べると、少数の異文を含む。この断片は、同福音書の年代の古さと、ギリシア語著作であったことの証拠になる。

さらに、もうひとつ、『マグダラのマリアによる福音書』のギリシア語断片 Papyrus Oxyrhynchus 3525 がある。これも3世紀初めの断片。同じくエジプト北部のナイル川沿いの町 Oxyrhynchus で発見された。現在は Ashmodean Library (Oxford) の所蔵。キリストの別れ、マリアの弟子たちへの慰め、ペトロのマリアへの要請とマリアのヴィジョンの始めの部分が含まれる。

まとめると、マグダラのマリアによる福音書』の写本は次の3種類

ギリシア語 Papyrus Rylands 463 (Achmim, 3世紀初)
ギリシア語 Papyrus Oxyrhynchus 3525 (Oxyrhynchus, 3世紀初)
コプト語 Codex Berolinensis 8502 (Oxyrhynchus, 5世紀)

発見箇所(Achmim と Oxyrhynchus)は下の地図を参照されたい。

 

これらの写本などから、マグダラのマリアによる福音書』は、2世紀初めにギリシア語で書かれたものと考えられる。前述のように、全体で(残っているのが)8頁たらずの短い書なのだが、いろいろな意味で興味深い。



この福音書本文のうちには、本書にあるハトホル関連の記述(37頁)はない。



「フルベッキと塾生たち」という写真が巻頭についている。そこには写っていてはならない人物が写っている。

本書に「鍋島はアメリカからやってきたオランダ人宣教師フルベッキを、長崎に設けた藩校の英語教師として採用している」(134頁) および「オランダ人宣教師フルベッキと勤王の志士たちが1枚の写真におさまっている貴重な記録で、長崎の上野彦馬の写真スタジオで撮影されたものだ」(148頁) と記述されているにもかかわらず、1974年に「偽物のらく印が押され、『佐賀藩の学生たち』と改題までされた」(148頁) という。
 

46歳の佐賀藩鍋島直正(安政6年11月、江戸溜池邸で藩医川崎道民が撮影)

 

 

 

 

令和の日本に開かれつつある状況を理論物理学により解き明かす

保江邦夫『願いをかなえる「縄文ゲート」の開き方ビオ・マガジン、2019

 

『願いをかなえる「縄文ゲート」の開き方』

 

著者の保江邦夫氏は世界的な理論物理学者。2018年末から「大公開」時代にはいったと宣言し、これまで秘密にされてきた多くのことを公開しはじめた。本書は2019年7月の刊行だから、まさに「大公開」時代のど真んなか。

なにを公開するのか。著者の専門的立場からいえば、令和の日本に開かれつつある状況を理論物理学により解き明かすことだ。その基礎的理論は湯川秀樹博士が晩年に唱えていた「素領域理論」(Elementary Domain Theory) であり、その当時は数式化されていなかったのを、後年、湯川博士の弟子である保江博士が方程式で表した。その「保江方程式」は、そこから「シュレーディンガー方程式」が導ける画期的なものだ。



「縄文ゲート」がいま開きつつある。それを本書ではやさしいたとえで説明する。〈母胎が宇宙で胎児が僕たち、両者をつなぐへその緒が縄文ゲートや霊性にたとえられる〉と著者は述べる。そのへその緒がいま一番太くなっているために、胎児が望むことはなんでも母胎から与えられる時期にはいっているという。

本書はさまざまな実例をあげつつ、この新しい時期について説明する。ところどころでは理論的背景として素領域理論を援用する。ときには、著者のもうひとつの顔である陰陽道伯家神道の秘儀・神事の継承者としての特別の角度からも説明する。

しかし、なんといっても、本書で圧倒的なのは、驚異的な具体例の数々だ。それらのすべてに縄文の日本人がそなえていた霊性が関わる。その霊性についても素領域理論で位置づけられている。

それらの具体例を読者の幸せのために心をこめて書いていることがひしひしと伝わってくるが、それが最高潮に達するのは最後の第5章「ふたたび戻ってくる縄文の世界」だ。その章の「福祉乗馬」の項を読んだとき、人馬一体とはこのことだったのかと、ふかく感動した。「福祉乗馬」を始められたのが滝本眞弓さん。



紙冊体の本にはとじ込み附録で「あなたの願いをかなえる縄文の秘儀」が公開されていると書かれている。ご心配なく。電子書籍版にもそれは含まれている。

 

 

 

〈ここからが本題〉とエピローグで宣言され、ドキッとする。幕末から現代までの重い歴史のあと、かろみの未来へ進むための方法

ミナミAアシュタール『新・日本列島から日本人が消える日(下巻)破・常識屋出版、2020

 

 

〈ここからが本題〉と、エピローグで宣言され、ドキッとする。

幕末から現代までの歴史を、戦争のくわしい経過などをまじえて語ったあとである。読者はお腹いっぱいになっている。ところが、そこまでは、いわば前置きにすぎず、本題はこれからというのだから、驚く。

読んでみると、それは本当だった。著者たちが一番つたえたいことはこのあとに出てくる。

それを一言であらわすなら、好きなことをして、楽しく、ご機嫌さんに暮らして、ということになる。

何じゃそれはと、多くの人が思うことは承知している。しかし、ものすごい重みの負の歴史のあとに、そのコースとは違う、かろみの未来へ進むための方法としてこれが提示されている。上下巻を読んだ人はこれが結論であることを知っているはずだ。

現実には、そうはさせないように、重いほうへ引きずり込もうとする陥穽に世界は満ちている。

上巻と同じく、驚くべき内容が満載である。日本に住む99%の人には信じられない内容だろうと著者たちはいう。その通りだろう。しかし——

これだけは書いておこう。キャッシュレス決済の進展からやがて身体にチップを入れて個体認証する時代がくるかもしれない。カードを失くす心配もなく便利だということになる。それは便利だが、同時に、どこで何をしているかを管理されることにもなる。が、それだけにとどまらない。その上、命にもかかわることになるのである。すぐには受入れられない情報だろうから、SFとして聞いておいてもらいたいと著者たちはいう。

もし、そのような時代がきたら本書を思い出してもらいたい。でも、都合の悪い書として読めなくなることもあるかもしれない。



そこで、覚書として、下巻で初耳だったことを書いておこう。

地球の縮図としての日本列島という考え方のことは比較的知られているだろう。だが、そのなかでも沖縄の役割については本書で初めて知った。沖縄は日本列島に対応するという。

明治維新によって日本に導入されたものがある。一つは金融システム。それにからみ、金 (ゴールド) が最も貴重な金属とされた宇宙史上の理由があること。もう一つは考古学。日本の考古学は西洋の考古学と違い、物質的なものにばかり目が行き、精神的なものを探そうという発想がないという。だから、掘っても土器しか出てこない縄文は何も残していないことになり、考古学者は困る。

 

 

 

ローカル史としての地球史とくに日本列島居住者の歴史を友達目線で宇宙的に伝えた書

ミナミAアシュタール『新・日本列島から日本人が消える日(上巻)破・常識屋出版、2020

 

相当に変わった本だ。

読者をえらぶ本でもある。あなたがこの書評を読んでいることも、偶然ではないかもしれない。

上巻を読みおわって言えることは、これまでの常識を破壊するような本だということだ。その意味では「破・常識な歴史」という惹句は誇張でない。ただし、神学や宗教を研究している人、ふかい信をいだいている人の場合は本書を読まないほうがよいかもしれない。



この本に出会ったきっかけは、アマゾンの本の歴史学ジャンルのランキングを何の気もなしにながめたことだ。その日、本書が1位になっていた。まったく知らない本で、著者にも、出版社にも見覚えがない。しかし、読者評をみると、ものすごい数の熱烈で肯定的な感想がならぶ。一見すると無名の書にもみえるのに、これは何だろうと思った。もう少し調べると、その出版社は本書を出版するために設立されたものとわかった。自費出版にもちかいのに、ベストセラーの1位となるとはただ事でない。

参考までに執筆時点(2020年8月20日)のアマゾンの本の歴史学ジャンルのランキングを見てみると、本書が2位、続きの下巻が4位に入っていた (下の画像参照)。

 


ちなみに、その日のランキングに入っているのは、1位が司馬遷史記1 本紀』 (ちくま学芸文庫)、2位と4位が本書の上下巻、3位が、かみゆ歴史編集部『マンガで一気に読める! 日本史』(西東社)、5位が山﨑 圭一『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた』(SBクリエイティブ)、6位が苫米地 英人『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』(コグニティブリサーチラボ)、7位がユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社)、8位が竹田 恒泰・久野 潤『決定版 日本書紀入門――2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る』(ビジネス社)、9位が『サピエンス全史』の上下合本版、10位が緑川 アイラ『ADHD女子革命: 自分のことが大嫌いだった私が、自分を大好きになって幸せになれた方法』(ゼロイチ出版) となっている。

率直にいって、歴史学というジャンル名に合うのか疑問の本もまじってはいるが、大部分は納得できる書籍群だ。そのなかに本書が入っているということは、少なくとも何かあるだろうと感じ、読んでみた次第である。



この上巻で扱われるのは、大きくわければ、宇宙史と日本史だ。

宇宙史のほうには、宇宙のはじまり、地球の誕生、恐竜時代などが含まれる。宇宙のはじまりのところは、山本佳人『宇宙意識の哲学的研究』のような哲学的な話がでてくる。ここの部分は哲学的発想に関心のない人には難解あるいは退屈に感じられるところかもしれないが、非常に興味深い内容で、これだけでも本書を手にとった価値はあると感じられた。

日本史をふくむ本書のそれ以外の部分は、奇想天外なストーリーが次々と展開するので、あまりのおもしろさに読むのをやめられないほどである。とくに、縄文、信長、秀吉、家康に関心がある人には興味深いだろう。



本書がどのようなものか、一言でいうのはむずかしいが、強いていえば、〈ローカル史としての地球史とくに日本列島居住者の歴史を友達目線で宇宙的に伝えたもの〉とでもなるだろうか。

改行が多いのは、ウェブ上の記事をそのまま本にしたためだと思われる。



著者名が変わっているが、これは四名を合わせた名前である。

 

 

 

「芝山はにわ」の人物埴輪は鍔つきの帽子と顎髭と美豆良の三点セット

日本国史学会、田中英道日本国史学第14号文社書房、2019

 

 

日本国史学会の学会誌「日本国史学」第14号に掲載の田中英道の論文「ユダヤ人埴輪をどう理解するか」について。

本論文を元にして、秦氏研究の構想を加え、口述体でまとめた書が『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』(2019) であった。論文であるので、注釈や参照文献が詳細であること、誤記ないし校正漏れがより少ないことを期待して読んだ。前者は満たされるが、後者はそれほどましとも思えない。学会誌だが、編集委員会の方針なども明記されていないので、査読や校訂なども行われていないのだろう。

ただし、文体は学術論文のそれで、このスタイルに慣れている人にはこちらのほうが読みやすいかもしれない。

ここでは、『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』にはなかった新たな知見や情報を書いておこう。



人物埴輪が五世紀後半から作られていること。「形象学的に言えば、それらは、生身の人間でなく、特定な人物と想定できない、一つのタイプとして制作されていると考えられる」という。その原因は技量の不足でなく、特有の創作目的があったとする。その理由は「それらが御霊の像であるから」と指摘する。この指摘は大胆な洞察をしめす。



西方の渡来人(帰化人)がやってきた時期は「弥生時代に始まり、応神天皇の時代を中心とする四世紀末から五世紀初めてにかけて、次に五世紀後半から六世紀中頃と、波状的に日本に渡ってきたと考えられる」こと。



「芝山はにわ」の人物埴輪は、鍔つきの帽子と顎髭と美豆良の三点セットであること (下の写真)。

この頭部の様子は、「世界の衣装史上、当然、ユダヤ人のそれを思い起こすはず」と述べ、〈ユダヤ人のそれは、歴史的なもので、古代のユダヤ教徒の独特の髪型、耳の前の毛を伸ばしてカールさせる「ペイオト」はよく似ている〉と指摘する。(*)

(*) ペイオト (Payot, פֵּאָה):「あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。」(口語訳、レビ記 19章27節)



秦氏の先祖は日本書紀(応神天皇十四年)によれば弓月君(ゆつきのきみ、中央アジアの弓月国出身の融通王)である。弓月君の民の渡来は、「仲哀天皇の時代の巧満(こうま)王の来日からおよそ八十四年後、第十五代応神天皇(在位二七〇−三一〇年)の第十四年(二八三年)に、日本に渡来していたと考えられる」こと。(*)

(*) 二八三年:佐伯好郎の説。一説には西暦372年とも、また5世紀前半とも。



ユダヤ人的埴輪が作られた時代は、人物埴輪が数多く作られた雄略天皇の時代(在位 456-479)と重なること。

「関東の古墳におけるユダヤ人埴輪は、雄略天皇に従う、関東豪族の、ユダヤ人重用の結果と見るべき」と指摘する。



ユダヤ人が支配階級になることなく、日本に同化していった理由については、本論文でもあまりふれられていない。その点は、近刊の『日本の神話と同化するユダヤ人』でより詳しく扱われるようだ。[『日本の神話と同化ユダヤ人』(勉誠出版、2020)]
    • 芝山はにわ
 

 

歴史ミステリー小説と銘打たれているが果たしてそうなのか。『ダ・ヴィンチ・コード』によく似て〈正史〉的な本では決して語られることのないような内容を大量に含んでいる。それをフィクションの形をとり書いた印象

伊勢谷 武『アマテラスの暗号(2019)[2020年の改訂版でなく、旧版]

 

歴史ミステリー小説、あるいは歴史ミステリー・エンターテインメントと銘打たれている。果たしてそうなのか。本書を読んだ人は誰でもそう疑問に思うだろう。日本という国に隠された謎がフィクションの形をとって白日の下に曝された本ではないのかと。

読後感としては『ダ・ヴィンチ・コード』によく似ている。本の中の随処にある謎が知識のある人なら解けるもので、しかるべき文献(外典など)を見ればその内容の多くが裏づけがとれるような本。しかし、〈正史〉的な本では決して語られることのないような内容という意味で。

大部な本だ。廣済堂出版から発行予定の紙冊体の本が650ページ[2020年版は536頁]。大部だけれども、展開がスリリングでおもしろいので、一気に読める。

タブレットなどで電子書籍版を読むと、カラーの写真や図版が見やすい。この方面(日本古代史、皇室とユダヤ、神社、神話など)に関心のある人には資料集としても役立つ。



本書の最大のテーマは神道とはなにかである。〈この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいています〉という断り書きがあるが、本当なのかと、読者の多くは思うだろう。それほど驚天動地の内容が含まれる。

本書が基づく最重要文献で、本書のストーリーでも重要な要素を占める本が『元初の最高神大和朝廷の元始』(桜楓社)だが、その本を読んだことのある人なら、本書に出てくるさまざまの驚くべき内容には、あまり驚かないだろう。だが、その本は稀覯書で、読んだことのある人は少ない。しかも、内容は神学的に難解である。

本書はそれに比べると非常に分りやすい。エンターテインメント小説として提供されているのだから、当然といえば当然だが。登場人物も個性的で、謎めいており、スパイや秘密組織も暗躍するので、スリル満点である。



ストーリーの発端はこうである。

「元ゴールドマン・サックス(NY)のデリバティブ・トレーダー、ケンシ(賢司)は、日本人父との40数年ぶりの再会の日、父がホテルで殺害されたとの連絡を受ける。父は日本で最も長い歴史を誇る神社のひとつ、丹後・籠神社の宗家出身、第82代目宮司であった。籠神社は伊勢神宮の内宮と外宮の両主祭神(アマテラスと豊受)がもともと鎮座していた日本唯一の神社で、境内からは1975年、日本最長の家系図『海部氏系図』が発見され、驚きとともに国宝に指定されていた。父の死の謎を探るため、賢司は元ゴールドマンの天才チームの友人たちと日本へ乗り込むが……」

先に挙げた『元初の最高神大和朝廷の元始』の著者は、その籠神社の第81代目宮司の海部穀定 (1900-1985) であった。81代というのはそれだけでも驚くべき数字である。同神社の創建は有史以前とされる。

主人公の設定にも見られるように、本書は遠い古代の昔話に終わらない。現代にもつながる問題で、おそらくは日本や世界の将来を左右するほどの重大な要素を秘めている