保江邦夫『人を見たら神様と思え: ―「キリスト活人術」の教え―』(風雲舎、2015)
前著『愛の宇宙方程式』と同じ内容が基本としておさえられ、そこに「活人術」の教え十箇条をくわえ、さらに「活人術」の体験談を13人分集めてある。そういう作りからして、著者の新しい考えはそれほど多くないが、読んでいるうちに、本の帯にある「生き方がガラっと変わります」という感じが本当にしてくる不思議な本。
そんなことがあるものかと思う人は実際に読んで試してみることをお勧めする。ここに書かれた教えの原理は、言語化されない、なにか根源的なものだと感じる。いったいどのようにして現代まで伝えられたのだろうと思う。
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この「キリストの活人術」は、著者が、「隠遁者さま」と呼ばれるスペイン人神父、エスタニスラウ司祭から広島の三原山中で直伝されたものだ。スペインのモンセラート修道院の岩山でこの「荒行」を行なっていたのは、エスタニスラウ神父とマルコ神父だけだった。他の修道士はグレゴリオ聖歌を歌っていた。
「活人術」とは、著者によれば、愛魂(あいき)を起こさせる作用のこと。愛魂とは著者ができるようになった合気のこと。〈日本武道の奥義ともいわれる合気をひと言でいえば、相手の身体が無意識下で働く状態であり、あたかも倒されたかのような動作をする技法〉という。
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活人術には十の教えがある。どんなものがあるかは本書にゆずるとして、最初の二つだけ挙げる。
〈活人術の一〉損なクジを引く
まず、〈いちばん損なクジを引いてください〉という。具体例は、スーパーで、〈いちばん古い日付のものを買ってください〉と。〈ほとんどの人は新鮮なものを買おうとしますが、あなたはいちばん古いもの、みんなが買わないものを買うようにしてください〉と著者は書く。〈ふつうならこんなバカな選択をしないというようなことを、あえて選択してください〉というのだ。
これが〈活人術初級の第一歩〉である。初歩であるだけでなく、〈もっとも大事な部分です〉という。〈それを続けているうちに、何かが変わってきます〉と、著者は確信をこめて書く。
そして、あるとき、気づく。「ああ、なんとなくこんなふうによく回っているのだ」と。〈なぜかというと、神様が助けてくださるようになるからです。神様はどういう順番で人間を助けてくださるかというと、弱いもの順です〉と理由を説明する。〈弱いもの、もっとも弱い人、もっとも損なクジを引いた人〉しか神様は助けてくれないと。
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〈活人術の二〉しもべになる
〈しもべというのは、無条件でどなたかへのお仕えをする人〉である。
この説明が本書ではいちばん長い。くわしくは本書にゆずるとして、ひとつだけ挙げると、地球上で、ある意味でいちばん下にいる「ある方」のことに著者はふれる。それはローマ教皇だ。〈自分は全人類の最後の存在であると考えている〉という。実際、教皇が書類にサインする際、名前を書くのではなく、「しもべの中のしもべ」と書くと。[正確にいうと、Servus Servorum Dei と書く。「神の僕の僕」の意]
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13人の活人術の体験談の中では、特に、竹田 明という人の話が興味深い。この人は保江氏の〈本の中に出てくる人は、そのままつながっていますから、そのエネルギーに触れることができます〉と書く。確かにそうだ。
商店街で自分の妻がやくざに因縁をつけられ、竹田氏は飛び出して行って平謝りに謝る。ところが、どんなに謝っても、殴られ続ける。サンドバッグ状態になるが、やくざが逃げようとするよそのおばあさんを蹴ったときに、自分を解き放つ。すると、呼吸が変わり、一分間にひと呼吸するくらいになる。〈続いて脳波がシーター波になり静かな気持ちになった途端、額にスクリーンが現れ〉、〈目から入ってくる映像と、このスクリーンの情報が二重写しになった〉という。それから、氏はすごいスピードでやくざに手が当たるようになり、相手の動きを封じ、やくざはもう勘弁してくれと消えて行った。
このときの現象は〈脳の松果体から視床下部に情報が伝達されて、前頭葉にスクリーンとして現れるもののよう〉だと氏は書く。
絶体絶命のときに入るこのようなスイッチは、自分では入れることができず、〈神様の働き〉であるという。
ある霊能力者が竹田氏の能力について「ボクシングをしていたら世界チャンピオンになっていたのに」と言った。そして「あなたのすごいところは、その能力を自慢しないところだ」とも言ったという。
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以上が本書に関ることだが、エスタニスラウ神父について、補足しておきたい (参考:'P. Estanislau M. Llopart, monje y ermitaño')。
「隠遁者さま」は1933年、18歳のとき、修道名 (el nombre monástico) として Estanislao Mª をもらう。Montserrat (Santa Maria de Montserrat) 修道院は聖母マリアにささげられた修道院 (un santuario mariano) なので、どの修道士も自分の修道名以外にマリアの名をもらう。それでエスタニスラオ・マリアの修道名になった。
「隠遁者さま」が日本に来たときに、お世話をするためにともに来日した、当時十八歳の美しいシスターのことが本書に出てくる。そのシスターが「隠遁者さま」の最後を看取ったことも本書に書いてある。そのシスターは Miriam という (la hermana Miriam)。来日する前、すでにモンセラート修道院の隠修士 (ermitaña) だった。なお、Miriam はヘブライ語の「マリア」に相当する。
ここで参考にしているスペイン語のページには「荒行」を思わせる記述は、ほとんどない。唯一、エスタニスラウ神父が87歳で帰天したときの顔の穏やかさが「神の恵みであり、荒野の戦いの実りである平和」(paz que es don de Dios y fruto del combate del desierto, en la soledad) と記されているのみである。この「荒野の戦い」(combate del desierto) が「荒行」を示唆するのかどうかは分らない。
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