ウォルト ホイットマン『おれにはアメリカの歌声が聴こえる―草の葉(抄)』(光文社古典新訳文庫、2007)
アメリカ(現代)詩の父、ホイットマンは膨大な作品群をのこしている。
本書は今のところ最新の『草の葉』の日本語訳(抄訳)。しかも薄い。詩の部分はわずか98頁。これなら読める。ホイットマンの詩人としての生涯を概観するには好適の詩集。
既訳とのちがいは一人称の訳し分け。初期を「おれ」、中期を「ぼく」、後期を「わたし」にしてある。
血気盛んな男の時代、手放しで自分の人生を謳歌していた若い頃(三十代後半)を「おれ」で訳す。内省的な段階に入ると「ぼく」となる。枯れていった老境を「わたし」と訳す。
作品でいうと中期は「揺れやまぬゆりかごから」(ツグミのつがいの歌を通して死をうたう、中期のおそらく最高傑作)で始まる。後期は「リラの花が先ごろ戸口に咲いて(抄)」(リンカン大統領の死を哀悼した、後期のたぶん最高傑作)で始まる。
本書の日本語訳を全体として観ると、初期はやや肩に力が入っている。中期はところどころきらめきがある(20世紀のモダニズム詩に通じる側面が感じ取れるほどの硬質な光がある)。後期は淡々とした文体で、原詩のよさがそのまま出ている。特に、「ふらりと出歩く子がいた」('There Was a Child Went Forth')はすばらしい。
注は少ない。ほとんど助けにならない。
ホイットマンの原詩は実はかなり難しい。なのに、この注や解説だけでは、巻末の原詩部分を読む人は途方に暮れるだろう。解説にあげてある参考文献は英語で書かれたもの一冊、日本語で書かれたもの一冊と、(本の薄さから来ているのだろうが)極端に少ない。最新の訳なので最新の研究成果を反映したものだろうなどとは期待しないほうがいい。けれど、薄い一冊にホイットマンをみなぎらせようとした意図は買える。