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イェーツの唯一の全詩集


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鈴木 弘訳『W・B・イェイツ全詩集』(北星堂、1982)



 この訳詩集は1950年発行の決定版イェーツ詩集(マクミラン社)の全訳。その決定版の巻末にあるイェーツによる注の全訳もふくむ。さらに、訳者による評注、解説つき固有名詞索引も附属する。もはや古書でしか入手できない。

 すべて訳してあることに最大の意義がある。個々の詩の解釈については、読者により意見が分かれるだろう。

 概して原詩の勢いがそのまま日本語にもあふれてくる。そのために、日本語の刈りこみが不十分だと評価する人があるかもしれない。

 しかし、イェーツの詩に熱情があふれることがあるのは、イェーツの読者なら誰でも知っている。もっとも、ことばを仔細にみると、イェーツが綿密に、細心の注意をはらって、詩句の彫琢をはかっていることもまた事実である。

 そのようなことばの翻訳はではどうあるべきか。イェーツが詩作にあたって最重視したこと━━推敲の苦心を微塵も感じさせず、あくまでさりげなく無造作に書かれたとの印象を読者に与えること(sprezzatura)━━を日本語の訳においても努めるべきかもしれない。

 多くのイェーツ読者に愛される「彼、天津衣を求める」('He Wishes for the Cloths of Heaven')の訳詩は、もはや現代においては書かれないような日本語の香りをとどめている。

金と銀との光で織った 縫取り
あざやかな天津衣があったなら
夜と 光と 薄光からなる
青衣 黒衣 灰色衣があったなら
あなたのみ足の下に敷きましょう
けれど貧しい私にあるのは夢衣だけ
み足の下に私の夢を拡げました
そっと歩いてください 夢衣が破れます


 ときに、原文の趣意を丸める傾向があるのは少し気になる。例えば、「イニスフリー湖島」('The Lake Isle of Innisfree')において、第2連3行目を「夜半は微光みなぎり 真昼は色あざやかに輝き」と訳す。原詩は 'There midnight's all a glimmer, and noon a purple glow,' とある。

 後半の真昼の色は「色あざやかに」で済むものだろうか。おそらく、原語の 'purple' を日本語訳することがためらわれたのではないかと推測するが、こういう場合、原則として、丸めてはいけない。あとでどんな情報が漏れていたかの検証ができなくなる。ここは、もちろん、イェーツ本人が口頭で説明しているとおり、湖面に映えたヒースの色のことである。訳すときには分らなくとも、原語を生かしておくのがよい。

 本訳詩集の冴えるところは、原語ではそっけないほど簡潔に書かれているものの、その意味するところを日本語に移しただけでは言い尽くせぬと思えるような場面である。例えば、「復活祭、一九一六年」('Easter, 1916')の第3連最終行 'The stone's in the midst of all.' は簡明なようでいて、非常に訳しにくい。この「石」が詩のなかで占める重要性(歴史の流れに投入されたものを象徴する)を考えれば考えるほど、'all' をどう訳していいか分らなくなる。本書は「石は一切具象のただ中にある。」と訳す。ああ、そうだ、それが言いたかったのだ、と多くの人が思うかもしれない、見事な訳だ。こんな日本語はすぐ出るものでない。

 同じことはこの詩の最終第4連の最後から3行目 'Wherever green is worn,' にも言える。もちろん、アイルランドという国のことを指しているのだが、ではどう訳すか。そのまま訳してもいいかもしれないけれど、アイルランド色をできれば出したい。本書は「みどりまとう祖国の至るところで」と訳す。これには唸らされる。この訳もなかなか出ないだろう。

 という具合に、イェーツの詩のあれこれについて、ああでもない、こうでもない、と考えをめぐらせるには、まことに好適な詩集だ。