Bob Dylan, 100 Songs (Simon & Schuster, 2017)
意外なことにボブ・ディランの手頃な詩集がなかった。2016年のノーベル文学賞受賞以来、世界中の大学で少しづつディランが教えられ始めているけれども、適当なサイズの詩集がなかった。このほど出た、この百歌選はまさにうってつけの本だ。
'Bob Dylan' (1962) から 'Tempest' (2012) に至るまでの33のアルバムから百歌が選ばれている。よく練られた選歌だ。
どういうアルバムから百歌が取られているかについての詳しい分析は既に別のところに書いたので、ここではそれ以外の面に触れてみる。
まず、ここに掲げられた歌の題および歌詞はボブ・ディランの公式ウェブサイトに掲載されたそれと、殆ど同じだ。
だから、ともかく歌詞が見たいという場合には、わざわざこの本を買う必要はない。公式サイトで見れば済む。
では、どういう人がこの本を必要とするのか。それは、冒頭に書いた教科書以外では、詩集としてじっくり読む場合だ。ノーベル文学賞の選考委員たちは、音を聴くことなく、ひたすらディランの詩集を最初から最後まで読んだ。そういう作業をしたい人にはこういう詩集が必要だ。
もっとも、文学研究として読む場合には、既刊の、非常に重くて高価な詩集の類が必須ではあるけれども。中でも、リクスらが編纂した校訂版の詩集(The Lyrics., Simon & Schuster UK, 2014)はディラン研究には不可欠だ。
本書はペーパバックで軽い。注釈や異版は全く附属せず、ただ、詩がほぼ発表順に並べられ、巻末に題名による索引が付いているだけのシンプルなものだ。
だが、このシンプルさがよい。ディランの詩はこういうシンプルな詩集を入り口として探検されてこそ、味わいが増すだろう。
ディランの研究書は今や千冊を超える。どれか気になる詩が見つかれば、そういう研究書を手がかりにして調べることもできる。
日夜、世界中の人が研究を重ねているので、研究の蓄積は膨大な量に達している。だけど、すべては、この詩集のような、ささやかな、素朴な出会いから始まる。読んでみて気になる詩があれば、いつでも歌を聴くことができる。歌を聴けば、詩が生きたものとして入ってくるだろう。
その先は、受け手が自由に思いをめぐらし、想像を羽ばたかせればいい。
本書の物理的な外観は、ブルーを基調としている。所々にブルーの紙が挿入されており、どういう意図で挟まれているのか、不明だ。手に取った時の表紙の肌触りがよい。
同時に Kindle 版も入手して、ふだんはそちらで読んでいるけれども、そちらには青紙の挿入がない。また表紙の手触りも味わえない。詩集として持出して、野原で寝っ転がって読むなら、断然この詩集だ。