Life 'Bob Dylan' (2016)
ハードカバー版(2012)をボブ・ディランのノーベル文学賞受賞を機に関連する序文をくわえ電子書籍化したもの。元のハードカバーは96ページで、この長さなら、内容がおもしろいこともあり、じゅうぶん読み切れる。Life 誌の編集者たちが書いた文章は読ませる。
多くのディラン書は辞書かと思うくらい分厚く、たとえば、Michael Gray の定評ある書 'Song & Dance Man III' (2000) は918ページある。そちらも、ものすごくおもしろいのだが、細かい字と詳しい注釈はいくら没入して読んでも中々読み切れない。
本書は内容が薄いかというとそんなことは全くない。ディランの詩を引用して分析するなどのことはしないが、もっぱら彼の人生においてどういう人と出会い、どう影響を受け、どう影響を与えたかを、達意の文章と鮮やかな写真で切り取ってゆく。過度にジャーナリスティックに陥ることなく、ディランその人の音楽性が人的交流の中から浮かび上がるような記述になっているので、詩や音楽に詳しくなくとも、愉しんで読むことができるだろう。何と言っても 'Life' は写真誌として長いノウハウの蓄積がある。興味深いエピソードと珍しい写真とを組合わせる手法は、他の数多いディラン伝記書の追随を許さないくらい生き生きしている。
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類書に見られない、ある人物の記述が本書では飛抜けて興味深い。
モータサイクルの事故(1966年7月29日)後、ディランがウッドストック(米国ニューヨーク州南東部)に籠り、愛する妻や子に囲まれ、充実した人生を送っていた時期に、ある人物が現れる。その人物の影響を受ける度合いと、妻と疎遠になってゆく度合いとが、奇妙にオーヴァラップしている。
読者としては、あるいはディランの音楽のファンとしては複雑な心境になるが、ともあれ、この人物が現れたことで、その後のディランの軌跡は明らかに変わったのだ。
その人物とは73歳の男性、Norman Raeben だ。聞いたことがないという人がいても無理もない。ふつうのディラン伝にはこの人のことはめったに出てこない。
いったいこの人物は何者なのか。ニューヨーク市に住む美術教師である(1978年に他界している)。
1974年に、妻の友人たちが来宅した。そのとき、彼らは真理や愛や美について語っていた。それも、それらの言葉をすべて明瞭に定義された言葉として語っていたのを、ディランは信じられない思いで聞いたという。ディランは訊いた、〈どこでそんな定義に出会ったんだ?〉と。すると、彼らはこの教師だと言った。
1974年春、ディランは彼を訪ねた。〈絵を描きたいのか?〉と問われ、ディランは〈まあ、そう思っていたところです〉と応えた。すると、彼は〈まあ、きみがここにいる価値があるかどうか分からない。きみに何ができるか見てみよう〉と言った。そこから二人の関係が始まる。
ディランを弟子にした彼は、ディランにとってのグルとなる。これまで多くの人にとってのグルだったディランは、ここに師匠を得た。
これはディランというアーティストの大きさを考えれば大変なことである。ところが、写真を売りにしている Life 誌にして、この師匠の写真が一枚もない。彼は同誌のような取材力をもってしても謎の人物なのだ。
ディランはアーティストとして多くの側面があり、画家もその一つだが、その面にこのグルが大きな影響を与えたことは間違いない。ただ、それは内面の奥深くで起きる、ある種、精神世界でのできごとなので、記述するのがむずかしいのだろう。Norman Raeben という神秘家の側面を持つ教師については本書ではここまでしか分からない。将来、この面に光を当てる研究が登場するのを待ちたい。
LIFE Bob Dylan (Life (Life Books)) (English Edition)
- 作者: The Editors of Life
- 出版社/メーカー: Life
- 発売日: 2016/12/09
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