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日独を舞台に三人のアドルフの数奇な運命が交錯するミステリ


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手塚治虫アドルフに告ぐ 1』

 

 手塚治虫(1928-89)の代表作のひとつ。「週刊文春」に連載された(1983-85)。

 第二次世界大戦当時の日本とドイツを舞台とする長篇の歴史漫画。ユダヤ問題が含まれる社会派の作品。著者が暮らした神戸の描き方も興味深い。冒頭から引き込まれ、密度の濃い世界が堪能できる、読みごたえじゅうぶんの傑作。

 「これは アドルフと呼ばれた 三人の男達の物語である」ということばで作品が始まる。ユダヤ人墓地にたたずむ峠草平が「最後のアドルフがこうして 死んだ今 その物語を子孫達に伝えようと思う」と語る。この峠草平を狂言廻しとして物語が進行する。

 その約半世紀前の1936年8月、オリンピック真っ只中のベルリンで物語がはじまる。水泳の「前畑がんばれ」で有名な大会である。峠草平がジャーナリストとしてオリンピック取材に来ている。ベルリン留学中の弟、峠勲から電話があり、重大な話があるという。あるものを渡したいと。「この品物が公開されたらたぶんヒットラーは失脚するよ」と告げるが騒音で兄の耳によく届かない。ここから深い闇におおわれたミステリが始まる。これが第一のアドルフ。アドルフ・ヒットラーである。

 その半年前、日本の兵庫県の山中で女の絞殺死体が発見された事件が峠草平の記憶によみがえる。その事件に関連し、日本にいる二人のアドルフが登場する。いづれも少年である。ひとりはドイツ人外交官の息子、アドルフ・カウフマン。もうひとりは親友の、パン屋の息子、アドルフ・カミル。ユダヤ人である。

 作品のところどころに当時の年譜が挿入される。1936年は2.26事件が起こり、国号を「大日本帝国」に統一し、阿部定事件が起こり、義務教育が8年制で実施され、日独防共協定が調印される。国外ではスペインに人民戦線内閣が成立し、ドイツがラインラントに進駐し、イタリアがエチオピアを併合し、ローマ=ベルリン枢軸が結成される。つまり、国内外に重要な出来事がクラスターのように起きている時代である。

 その当時の神戸の空気感が伝わるのが愉しい。世の中は年譜から窺われるように激動しているとしても、少年たちの遊びの世界はそれとは関わりなく進もうとするモメントをもつ。しかし、彼らを時代の暗い影がだんだんに捉えてゆく。このサスペンスがたまらない。

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二人のアドルフ

 

アドルフに告ぐ 1