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中高年の「普通の人々」のサバイバル


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村上龍『55歳からのハローライフ』幻冬舎、2012) [Life Guidance for the 55-year-olds and All Triers]

 

 2003年に出た『13歳のハローワーク』は中学生に労働の世界を案内した画期的な「実用書」だった。2012年に出た本書、『55歳からのハローライフ』はそれへのアンサーソングともいえるが、今回は五編の中篇小説をつらねた連作長篇の形をとっている。

 55歳といえば人生も半ばを過ぎ、後半生の再出発を多くの人が考える時期である。本書では、そうした中高年の「普通の人々」が、現代のように生きづらい時代でどうサバイバルを図ればよいのか、の問いが全篇をつらぬく。

 作者の村上龍(1952年生れ)も作中登場人物とほぼ同年代であり、立場の違いはあれ、似た問題意識を抱えて執筆したという。

 定年後や老後の人生は一様ではない。そこには経済格差がある。本書の五編の五人の主人公は「悠々自適層」「中間層」「困窮層」を代表する人物である。すべてに共通するのは人と人との信頼関係の重要さである。

 

「結婚相談所」

 「結婚相談所」は中間層の女性、中米志津子が主人公である。定年後テレビの前を離れない夫とは離婚し、試食販売のパートをしている。人前で声を出すのが苦手だったが、勤めてみると不思議にいくらでも声が出る。このことについて、同僚のオヤマさんは面白い見方をする。

人間が一生のうちに話す分量は決まっているのだそうだ。照れ屋や恥ずかしがり屋としてずっと生きてきた人は、いつかどこかでまるでダムが決壊するように、文字通り堰を切ったように喋りだすことがあるのだとオヤマさんは言った。(8ページ)

 この女性が結婚相談所で元会社経営者の男性と会う。寂しくて伴侶が欲しいわけではなく、結婚を望む理由のうち、一つは経済的理由である。このあたりの細かなデータはリアルで、小説の形をとってはいるが、現実に参考になるような示唆にも富む。

 もう一つの理由はお察しの通りである。ここには書かないので、ご関心の向きは本書を手に取ってみていただきたい。ただ、その理由のほうは韓流ドラマの影響があるとだけ書いておく。

 本作品に東京・新宿の都庁第二庁舎の外れのスペースの描写(15-16ページ)が出てくるが、そこは実際に著者が好きな場所で、写真を撮ったりしている。テレビで本書についてのインタビュー番組があった際にそのスペースが映っていた。都会のオアシスのような場所である。著者は花などの写真を撮って、母親にメールで送るのだという。

 飲み物が本作では重要な役割をする。紅茶のアールグレーに蜂蜜を入れた飲み方は気分を落着かせるらしい。こう書かれている。

誰にでも、辛いときがある。精神的に不安定になったとき、まず飲み物をゆっくりと味わうことができれば、どんな人でも気持ちが鎮まるはずだ。(52-53ページ)

 55歳以降に人間が変わるということがあるのだろうか。そんな疑問を抱いて読む人にも、一つの答えが用意されている(引用中の『ひまわり』はソフィア・ローレン主演のイタリア映画)。

わたしたちは、別の人生がはじまると、別の人間になる、中米志津子はそう思った。・・・『ひまわり』があれほど切ないのは、年月と状況によって人間が変わってしまうことを、ミもフタもなく正確に描いているからだ。(62ページ)

 

「空飛ぶ夢をもう一度」

 「空飛ぶ夢をもう一度」は困窮層の男性、因藤茂雄が主人公である。小出版社をリストラされ、ホームレスへの転落の不安を抱えている。

 できればホームレスのいない地元で働きたいが、この不況時には東京にしか仕事がない。東京に行くたびに、必ず出会うホームレスの群れに自分も加わるのではないかという不安にかられる。

 「空飛ぶ夢をもう一度」は自分が書き続けている夢の日記のタイトルだ。子供のころは空を飛ぶ夢をしょっちゅう見ていたのである。

 そんな因藤には心安らぐものとして水があった。神社の湧き水のような澄んだ水である。小学校のときに担任の教師にこう言われた。

「何か、辛かことや、いやなことのあったときに、まずゆっくり水ば飲め。そしたらとりあえず気持ちの落ちつくとたい。濁った水や、臭か水はだめばい。この水と同じ、きれいで澄んだ水ば飲まんば」(77ページ)

ホームレスの不安にかられるうち、不安の対象について調べてみようとして本を読む。その結果、ホームレスに転落しないための用心として次の要点を自分のノートに記す。

仕事、家族、健康を徹底して守ること。住居の死守。借金は絶対にしない(81ページ)

予想されるとおり、ホームレスの不安は主人公に迫ってきて、途中から読むのが辛くなる。「人間の尊厳」という言葉が頭をよぎる。しかし、それはやがて形を徐々に変えてくる。村上龍の最初の作品から看取される力が流れだす。黒い、名状しがたい流動物とでも呼ぶべき力。存在の根底の一角を占める、ある種の力。そこに接続されたとき、彼の作品は底光りしはじめる。無力感が確信に変わる。

 

「キャンピングカー」

 「キャンピングカー」は中間層の男性、富裕太郎が主人公である。早期退職の特別加算金一千万円でキャンピングカーを買って妻と日本全国を回る計画を立てていた。だが、その計画は妻や娘の理解が得られず、主人公は煩悶する。

 富裕は58歳という年齢でリタイアすることに、どこか後ろめたさを感じ、再就職の道を模索し始める。

 けれども、58歳が早すぎるとは一概には言えない。英国では警察官のリタイアは48歳から可能(30年間勤務のあと)である(もっともそれを60歳に引上げるべきだと議論されてはいる)。

 しかし、それは社会福祉先進国の話で、日本では58歳の元営業職の再就職は厳しい。その現実と向合うのは富裕には試練であった。彼の認識不足を責めることはやさしいが、縮小し続ける市場の現実と我が身とを冷静に引比べる余裕は、仕事に追われる世代には中々ないだろう。

 富裕にとって、再就職の困難だけが問題ではなかった。会社という組織を離れてある意味で「裸」になった自分と家族との関係を新たに築きなおすことが次の課題として徐々に浮かび上がってくる。その認識はひとりで煩悶するだけでは得るのが難しく、自分の「外」に出てゆくことも助けになる。その際に相談できる友人がいるかどうかは大きい。仕事の利害関係とは別に、友人として考えてくれる人がいるかどうかは、このような中高年の危機に対処するうえで重要である。

 

「ペットロス」

 「ペットロス」は悠々自適層の女性、高巻淑子が主人公である。マンション住まいだが、同居していた息子が海外勤務になったのを機に、念願だった犬を飼うことを夫に認めさせた。柴犬のボビーをブリーダーから手に入れた。犬を散歩に連れてゆく近くの公園で出会った、ドーベルマンを飼うヨシダという男性と会うのが楽しみになる。ヨシダさんは渋谷駅前に銅像がある忠犬ハチ公について独自の見解を述べる。

「ハチ公ですが、ひょっとしたら可哀相な犬だったのかなって思ったりするんです。飼い主が亡くなったあと、他の、新しい飼い主になついたほうが幸福じゃないですか。亡くなった主人を思い続けるのは、美しいかも知れないけど、美しいことが必ずしも幸福に結びつくわけじゃないってことですけどね」(219ページ)

 高巻淑子が好きなプーアル茶にからめて、ヨシダさんは<人は、何か飲み物を、喜びとともに味わえるときには、心が落着いている>と話す。

「何かね、心が揺れて、自分自身を失っているときって、お茶を楽しむ余裕がないんですよね。ぼくは、だからお茶っていうか、飲み物は、単に水分を補給するだけじゃなくて、もっと意味があるんだと思うんですね。悲しいことや苦しいことがあるときに、ゆっくりとお茶を飲んで救われることって、多いと思うなあ」(221ページ)

 表題にある通り、この中篇はペットとの死別がテーマである。それはペットを飼う人には痛切な問題であるが、同時にペットと関わる他人、関わらない他人との関係、特にコミュニケーションの問題をもはらむ。社会生活を営んでいる以上、人と関わらずにいることはできず、自分とペットとの関係の決定的な変化は、他人との間にも有形無形のさまざまな余波を生み出すからである。その関係性の網における変化が、すぱっと割切れる形で起こるのでなく、じわりじわりと浸透圧の変化のような形で起きることがよく描かれている。

 

「トラベルヘルパー」

 「トラベルヘルパー」は困窮層の男性、下総源一が主人公である。トラックドライバーだが、63歳になり、アルバイトの仕事しかない。年金はないに等しい。両親が離婚して以後、父親とは、ほとんど会っていないが、何かを運ぶことには価値がある、を口癖にしていた父の影響は自覚している。

 食い扶持をかせぐだけなら時間給のアルバイトをすればいいが、どうしようもないのは、ひとりものの孤独感である。そこで、自分が欲しているのは女だとの結論に至りながらも、読書とお茶とコンビニ弁当の生活をつづける。読書とお茶というのは、生活費が乏しくなる中で、古本屋に行くようになり、たった百円で一日過ごせる喜びを覚えたからで、本を読み出してからお茶がおいしいと思えるようになったのである。狭山のお茶を三川内焼の茶碗で飲む。

 下総は古本屋である女性に出会い、デートするようになる。その恋の行方、海女をしていた祖母の想い出、運ぶことの価値、それらが不思議なあやめを織ってゆく。

 脚本家の小山薫堂が60歳以上を「グランド・ジェネレーション」と呼ぶことを提唱している。シニアとかシルバーではこの世代の特徴を正確に言い表せないというのである。グランド・ピアノやグランド・スラム(満塁ホームラン)やグランドファーザなどのグランドの語感。略して「グラジェネ」。呼び方は思考に影響を与える。この小説に現れる人たちがこの言葉を知っていたとしたらどうだろうと、ふと考える。

 この本には、内容以外のところで一ついいことがある。紙の手触りがいいのだ。表紙を支えながら中の頁をめくるときの感触がいい。なめらかだ。装幀は鈴木成一である。