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16歳少女が時を旅する冒険譚


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ケルスティン・ギア『青玉は光り輝く (時間旅行者の系譜)』東京創元社、2013)

 

 ドイツの女流作家ケルスティン・ギア(Kerstin Gier)の「時間旅行者の系譜」三部作の第二作。原題は Saphirblau: Liebe geht durch alle Zeiten (2010)。「サファイア・ブルー(青玉のような透明感のある瑠璃色)――愛はすべての時代を通り抜ける」くらいの意。ドイツでは Liebe geht durch alle Zeiten は三部作の名称ともなっている。すべて宝石の名を冠することから、Edelstein Trilogie (宝石三部作)とも呼ばれる。時間旅行小説だからSFとも言えるが、ドイツではファンタジーとされる。

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[Kerstin Gier; source: Ilona Karatas, 'Über die Autorin']

小説冒頭の場面

 翻訳はこなれていて読みやすい。たぶん概して正確なのだろうと思うけれど、小説冒頭に出てくる「牧師」はいただけないというか、あり得ない。告解用の窓が間にある告解席を備えた(以上、まったく意味不明)プロテスタントの教会があるなら教えてほしい。もちろん、正しくは告解場であり、そこにもうけられた席。おそらく訳者は告解場の中にはいったことはないのだろう。

 冒頭の衝撃の場面を正確に理解するためには状況を正しく思い描く必要があるので、すこし説明する。告解場は小部屋で、ふつうは3つに仕切られていて、3つにそれぞれ戸がついている。真ん中に司祭がはいる。両側には罪の告白をおこない赦しを得るために信者がはいる。司祭と信者の間には格子窓の仕切りがある。一方の側の信者の告解を聴く際には他方の側の格子の戸を閉める。主人公の16歳の少女グウェンドリンとその相棒ギデオンはどちらかが司祭席にどちらかが信者席にいたのだ。その格子窓ごしに事件は起きたことになる。これを念頭において、できれば第1章最初のページは書き直してもらいたい。このままでは出だしで興ざめし、本から離れる人がきっと出る。「牧師」を「司祭」ないし「神父」に直す最低限の訂正でよいから。人気シリーズなので、ここのところは気になる。第10章前後に出てくる「牧師」も正しいのかどうか怪しい。肝腎なところで不審を読者に抱かせるのはまずい。

タイムトラベラーになったわけ

 なぜ主人公がタイムトラベラーになったのか。そのわけは遺伝子保持者という以外の詳細は不明ながら、クロノグラフ(時間旅行装置、Chronograf)の十二円環を締めくくる最後のタイムトラベラーたる紅玉(ルビー)であることは確かである。十二人全員の血をクロノグラフに読込ませると何か途方もないことが起こるらしい。相棒のギデオンは十二円環のうち金剛石(ダイヤモンド)。この第二作は十二円環のうち青玉(サファイア)が題名になっている。青玉はルーシー・モントローズ(グウェンドリンの母方のいとこ)を指す。ちなみに、第一作の題は紅玉(ルビー)だった。完結篇の第三作の題は翠玉(エメラルド)になると思う。翠玉は監視団の創設者、サンジェルマン伯爵(本書の表記、ふつうはサン・ジェルマン伯爵)を指す。

グウェンドリンとサンジェルマン伯爵

 物語は語り手グウェンドリンの一人語りで進むが、周りの無理解ないし敵対する人々の群れとの軋轢から、読者はいつしかグウェンがんばれと声援を送りたくなってくる。わけも分からずいろんな時代に送り込まれてちゃんと振舞えなんて命じられても常人には対応することが難しいのに、グウェンドリンはどんな逆境でもけなげに、めげずに(適当に)奮闘する。そこがいい。適当に、というのは、わけも分からずこんな難しい状況に直面させられ、やってらんないとのぼやきが出ても当然だから。

 グウェンドリンを18世紀の舞踏会に送り込むにあたり、ジョルダーノ氏が猛特訓をつけるが、これがグウェンドリンにはまったく合わない。グウェンドリンはなんでこんな人が監視団の一員なのか訝る。だが、ジョルダーノはサンジェルマン伯爵と秘密結社に関わる新資料の発見者だった。ここで話は俄然おもしろくなる。監視団からは端役か裏切り者とみなされているグウェンドリンを、サンジェルマン伯爵のほうがずっと信頼していることが明らかになる。これは本書118-120ページあたりの流れで、このへんからぞくぞくしてくる。

 なぜかといえば、サン・ジェルマン伯爵(Comte de Saint-Germain)の名は謎の人物として歴史上、有名だからだ。実在の人物であったとする記録(18世紀)はあるが、いったい正体は何者だったのかは、いまも議論が絶えない。ヨーロッパの種々の(秘密の)サークルで現在も語り継がれていることは大いに想像でき、したがって、本書におけるように時間旅行をしてサン・ジェルマン伯爵に何度も会うという設定であれば、ドイツを始めとする読書界で興味を惹かないほうがおかしい。

レナード・コーエン作の〈ハレルヤ〉

 ところで、グウェンドリンもギデオンも、レナード・コーエン作の〈ハレルヤ〉のボン・ジョヴィ版が好きだと分かったのは収穫だった。これがジェフ・バクリなら、もっとしぶいんだけど。この選曲をみれば、ドイツの読者層がだいたい分かる。あるいは作者の趣味が。


Jeff Buckley - Hallelujah (Original Studio Version ...

173ページのラテン語

 冒頭の教会の場面でも思ったが、神は細部に宿る。だから、細部に不注意な誤りがあると、いくら面白い小説でも興ざめになる。173ページのラテン語のうち、マトゥアは「マトゥラ」ないしは厳密には「マートゥーラ」と表記すべきだ。原文はカッシオドールスの 'Nam quod in iuventus non discitur, in matura aetate nescitur' である。まさかドイツ語読みしたのでは。読みといえば209ページの「ペネロープ」もおかしい。イギリス人の名前ならペネロピ。ひょっとすると英国の作家アトリの時間旅行物の主人公ペネロピ・タバナへのオマージュか。

対立の構図に隠された意図

 第11章の巧妙な仕掛けに唸らされる。グウェンドリンはもともとサンジェルマン伯爵を警戒していた。なのに、夜会での伯爵と敵対勢力との対峙の場面で、なぜか伯爵側から物を見てしまう。(おいしいパンチの飲み過ぎにも由来する)この世界観のゆがみは、時間のゆらぎと相まって、読者に眩暈を起こさせる。そのことに、読者自身も気づかされざるを得ないところが、本書の筆のすごいところだ。続篇が楽しみな所以である。

 ちなみに、この対立の構図には恐らく隠された意図がある。グウェンドリン(Gwendolyn)の名前のグウェンはウェールズ語の 'gwen' (白い)に由来することは頭の片隅に入れておいたほうがよさそうだ。この 'gwen' の要素は名前の前にくることもあれば、後に('-wen' の形で)つくこともある。例えば、ケルトの詩の女神 ケリドウェン Ceridwen 「聖なる(白い)詩(cerdd)」のように。考えてみれば、ドイツはケルトに関する学統の巨大な本流であり、今でも古アイルランド語を勉強する人はドイツの本を使わざるを得ない。

 しかし、なんてこった。最後に「暗号を解いてみよ」とは! 愛すべき物語だ。