アイルランドの妖精や異界にまつわる歌を集めてみると
[スポンサーリンク]
Rionach uí Ógáin and Tom Sherlock, eds., The Otherworld: Music and Song from Irish Tradition (Comhairle Bhéaloideas Éireann, 2012)
アイルランドの妖精や異界にからむ音楽や歌の録音・資料を集めよう。そんなプロジェクトがスタートしたのが1980年代後半のこと。それから20年以上の歳月を経て、ようやく出版に至ったのが本書である。貴重な録音を収めた2枚のCDが附く。
アイルランドはもともとその種の伝承に事欠かない。妖精由来の曲や、妖精の円砦で寝た結果、作曲の才を授かった音楽家とか、そういう話は豊富にある。けれども、そういうものを集成したものは不思議に今までなかった。
軽い気持ちでつくられたものではない。妖精に学んだとされる音楽や歌のどこに異界との接触(と民衆が信じたもの)の影響があるかについて、議論が重ねられた。あくまで真剣なフォークロアの学問上の試みである。ここにはアイルランド的な想像力の源泉の一つがある。
主体となっているのはアイルランド・フォークロア協議会(Comhairle Bhéaloideas Éireann)。編者はリーナハ・イオーガーィン(Ríonach uí Ógáin, UCD〔ユニヴァーシティ・コレジ・ダブリン〕民俗学集成所所長)とトム・シャーロク(Tom Sherlock, 音楽グループ Altan マネジャ)。
220ページの本に92点の白黒写真、附録として2枚のCDに41曲が収められている。
控えめにいって、アイルランド伝統音楽と妖精との関わりに関心がある人はすぐに入手すべきものだろう。今後このようなものが再び現れるという保証はない。本の中の記述の水準の高さ(アイルランド語には英訳が附されている)、附属CDの音源(多くはUCDの民俗アーカイヴズのもの〔録音は1922年から2010年にわたる〕)の素晴らしさ、どこをとっても、これ以上のものはちょっと望めない。(ただし、あくまで一般読者にも読めるような配慮をした出版物である。)
このような本が出版される背後には膨大なデータの裏付けがある。UCDの民俗学集成は評者も調査しに行ったことがあるが、アイルランド各地で収集者が調査した大量の生データがカード等の形できちんと整理されている。原データは多くがアイルランド語だが、アイルランド語のままで出版されたものは、知る限りではない。出たものはいづれも英訳の一般向けの紹介書で、ほんの一部分である。もちろん、元から英語のものもある。
現代最高のアイルランド語女流詩人のヌーァラ・ニゴーナルはこの集成の調査に足繁く通い、創作のインスピレーションをここから汲み取っている。
附属CDの録音は今回初めて発表されるものが多く、歌唱者は当代最高の名人たちを含む。中にオリアダ杯(アイルランド最高のシャン・ノース〔アイルランド語無伴奏歌唱〕の名人に贈られる賞)を獲得したキアラン・オコンヒャナン(Ciarán Ó Con Cheanainn)による、妖精の女性との出会いをうたう歌 'An Aill Eidhneach' (蔦のからまる岩)がある。それだけで本書の存在意義があるくらい重要な未発表曲である。この歌の旋律は他では耳にしたことがなく、非常に特異なものに思える。知る限りではこれまでこの歌の録音はない。美しい歌である。
わずか27歳で夭折したこの天才的歌い手にして学者の録音は数少なく、その意味でもまことに貴重である。ここでの歌唱は完璧であり、非の打ち所がない。確信に満ちたその唄いぶりは若くして既に大家の風格がある。評者は彼に教えを受けた僥倖を昨日のことのように想い返す。生きた伝統そのものの人であった。
本書の出版に関する公式ページもある。そこからのリンクでも購入可能。
本書に収められた歌曲等のリストはどこにも出ていないので、以下に書いておく。
- Down by the Green Roadside-um (Mickey Connors)
- Jig Learned off the Fairies (Mickey Doherty)
- Bá Phrochlaise (Cití Seáin Ní Chuinneagáin)
- The Heart's Delight (Austin Flanagan)
- The Coleman Brothers' Strange Experience (P. J. Duffy)
- The Boys of the Lough and The Merry Blacksmith (Michael Coleman)
- Cruel Willie (Stephen Murphy)
- Petticoat Loose (Seán Ó Catháin)
- Petticoat Loose (Darren MagAoidh)
- Amhrán na Siógaí (Róisín Elsafty)
- The Moving Clouds (Néillidh Boyle)
- Amhrán an Frag (Peadar Ó Ceannabháin)
- The Banshee (Mag Doyle)
- The Banshee Reel (Micho Russell)
- Seachrán Sí (Saileog Ní Cheannabháin)
- Willie Leonard (John Stokes)
- Port na bPúcaí (Muiris Ó Dálaigh)
- Réidhchnoc Mná Duibhse
- Pilib Séimh Ó Fathaigh (Cairán Ó Gealbháin)
- Tiúin an Phíobaire Sí (Máire Ní Bheirn)
- Taibhse Chonaill (Rónán Galvin)
- The Gold Ring (Cormac Cannon)
- The Fiddler and the Fairy (Mickey Doherty)
- An Mhaighdean Mhara (Nora Dunlop)
- Willie O! (Bernie Lawrence)
- The Lone Bush (Tara Diamond)
- An Aill Eidhneach (Ciarán Ó Con Cheanainn)
- Tam Lin (Áine Furey)
- Caitlín Deas Crúite na mBó (Patrick de Búrca)
- A Fairy Dance (Máire O'Keeffe)
- Port na Sióg (Peait Sheáin Ó Conaola)
- The Fairy Fort (Paddy Hedderman)
- Iomáin Áth na gCasán (Máire Ní Choilm)
- The Lutharadán's Jig (Junior Crehan)
- Ceann Boirne (Micho Russell)
- Amhrán an Phúca (Sarah Ghriallais)
- The Banshee (Edward Kendellan)
- The Lilting Banshee and An Rógaire Dubh (Robert Harvey)
- An Cailín Deas Rua (Nell Ní Chróinín)
- Paddy Bán Quigley and The Boys of Malin (John Doherty)
これらの曲目をながめると、中には非常に有名な曲もあり、えっ、これが妖精関連の曲なの、と驚かされることもある。
アイルランド伝統音楽好きな人なら、これ一冊あれば3年は飽きないと思う。