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中身がぎっしり詰まっているが大変読みやすい


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田中英道『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く 』(勉誠出版、2019)

 

「日本国史学」14号(2019)に掲載された論文「ユダヤ人埴輪をどう理解するか」を元にして、秦氏研究の構想を加え、口述体でまとめた書。まとめる段階で勉誠出版の編集が加わっていると思われる誤記ないし校正漏れが散見する点を除けば、大変読みやすい。

全179ページの小著に見えるが、中身がぎっしり詰まっており、一読したくらいでは内容を整理するのがむずかしいほど重層的な歴史が述べられている。



ただし、これを歴史学者は「歴史」とは呼ばないかもしれない。なぜなら、実証の軸が文献ではないからである。

ざっくり言うと、本書の論拠は、埴輪、DNA、周辺文献である。



結論は何か。古代日本に多くユダヤ人が渡来し、その後の貨幣古墳神社などに影響を及ぼしたこと。彼らは支配階層となることなく、日本に同化していったこと。以上である。

しかし、これだけでも日本古代史を書き換えるに十分な内容である。中国や朝鮮でない地域から多くの渡来人がやって来ていたことは、ふつうの人の視野にはないであろう。

「多く」とはどれくらいか。「応神天皇時代に一万八千人とか、欽明天皇の時代に七〇五三戸(約五万人か)秦民がやってきたことが記されており、十分の一から五分の一ほどの人に秦氏に占められていたことが予想されます」という (148頁)。なお、「縄文時代の東北から九州にいたる日本では、全人口は縄文中期で最も多く二六万人であった」と (147頁[「縄文時代の環境 その1」から引用されている])。



結論のところだけ、まとめてみると、ユダヤ人が日本にやって来たのは、「六世紀初頭、あるいは五世紀末だと思われる」という (112頁)。

貨幣というのは日本最古の和同開珎。それを作るための純度の高い銅について、採掘技術と精錬技術を持っていた群馬の多胡羊太夫という七世紀後半の伝説的人物 (166頁)。

古墳の建築技術への関わりに大陸的な工夫と富の蓄え。5,000から6,000基の前円後方墳 (172頁)。

宇佐神宮を総本社とする全国約44,000社の八幡宮。全国32,000社の稲荷神社 (175頁)。



最後に著者の言葉を引く。

日本の歴史を考える上では、世界の中の日本という視点が常に必要です。特に、いわゆる「古代」と呼ばれる時代の歴史において、それはまったく考えられてこなかったと言っていいでしょう。(176頁)