荒川弘『銀の匙 Silver Spoon 8』(小学館、2013)
(承前) エゾノー祭の当日に倒れた八軒。そこへ父親が訪ねてきて、勉学以外のことで過労になるとはと叱責を受ける。仲間の駒場一郎は甲子園に出られる一歩手前までゆくが、そこであえなく敗退。以後、姿を見せなくなる。
どこよりも厳しい北海道の冬が始まる。「夢が散った。あいつの悔しさも、あいつの虚しさも……自分の出る幕じゃないことは重々承知。それでもここは引けないんだ。」と決意する少年。だが、まだ駒場は学校に来ない。
農業高校一年の八軒は農学の面白さに目ざめてくる。チーズ作りの仕組みが化学と繋がっていることを知り、自分の得意分野と関連させられるようになる。農業やってりゃ飢え死にしないという会話から、「銀の匙」の話になる。食堂の壁に銀の匙がかけてある。
「銀の匙を持って生まれた子供は生涯食うのに困らない」という外国の言い伝えから来ている。御影と八軒の会話。
「子供が生まれたら銀の匙を贈ってその子が一生食べるのに困らないように願うんだって。」
「あ、これってそういう意味だったのか?」
「この不景気の中、食いっぱぐれないって意味では、農家の子って銀の匙を持って生まれた子じゃん。」
英語の諺 'born with a silver spoon in one's mouth' は裕福な家に生まれるという意とされることから、イギリスの貴族社会を指すともいわれるが、起源はアメリカという話もある。
なぜ「銀の」匙であることが問題になるかというと、中世には匙は木製だった。spoon という語の原義は木片とかこっぱという意味なので、匙の意はそこから来ているのかもしれない。アイルランド伝統音楽が好きな人なら、スプーンは打楽器としても用いられることを知っているだろう。2本を重ねてたたく。
などと銀の匙に思いをめぐらしていると、食堂になぜか南九条あやめの姿が。驚きだが、酪農科学部の枠がひとつ空くからここに転学するつもりと聞かされ、さらにびっくりさせられる。
なぜ、枠がひとつ空くのか訊くと、さらに驚きの答えが返る。駒場牧場が離農するというのだ。借金が返せず倒産したのだ。
さっきまで、農家の子は食いっぱぐれがないという話をしていたところだというのに、農業をとりまく厳しい現実を急に目の前につきつけられて、八軒は愕然とする。「うそだろ……こんなんで……夢終わっちゃうのかよ……」と呟き、なかなか受入れることができない。「なんとかならないかな!?」と言う八軒に対し、御影は「本当にこればっかりはしょうがないから。」と、手綱を放すよう諭す。が、お人好しの八軒はまだ「俺……何もできねーのか……」と考えこむ。
そこから物語は冬に移ってゆく。
と、暗い物語になるかと思いきや――。冬は暗いけれど、少年少女たちの意気は燃え盛るように輝く。ぱっと見には見えないんだが。やめた駒場の分まで、みんなの心の中に見えない火がともったような、じわじわした展開が始まる。これはこたえられない。こういうのには弱い。
御影の「八軒君、ごめん。迷惑かけるかもしれないけど…… もう少し勇気もらえるかな……」に応える八軒の「おう、巻き添え上等! 一緒に頭 踏まれてやるよ!」の言葉はかっこいい。
でも、それ以上にかっこいいのは、御影の馬に対するまっすぐな気持ちだ。もう8巻にもなって、中だるみするかと思いきや、ここからが真の物語の始まりという気がしてきた。帯によると、累計1000万部に達したらしい。「マンガ大賞2012」大賞や「小学館漫画賞」(2012年)少年部門を受賞している。