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1920年代のアイルランド語復興の動き


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テレンス・ブラウン『アイルランド 社会と文化 1922~85年』

 

独立以後のアイルランドの精神史および文化史をあつかう歴史書。さらに、文化を理解するには社会史の概観が必要であるとして、社会史にも関心を払う書。

イデオロギー、観念、シンボル、文学的および文化的定期刊行物、あるいは歌の歌詞にいたるまで皆社会のなかの事象であって、その点においては収穫したジャガイモ、トラクターや新しい産業と同等であり、それらが生を受けた物質世界のなかにおいて初めて十全に理解できるようになる。(9頁) 

 この観点から文化を捉えるのはよいとしても、アイルランドの文化の根本的要素のひとつ、アイルランド語の復興をあつかう章が偏見に満ちているように思える。第二章「アイルランド人のアイルランド―言語と文学」で、学校教育でアイルランド語を復興しようとしたUCD教育学教授のイエズス会士、T・コーコラン神父(Professor Father T. Corcoran)を執拗に攻撃する(56-58頁)。その攻撃は控えめに言っても正当性を欠くものであり、この復興政策についての評言で唯一公平と思われるのがUCD初期アイルランド語教授バーギン(Osborn Bergin)の言葉である。

こんにち、人びとは問題を政府にまかせている。政府はこれを文部省にまかせた。文部省は教師たちに、教師たちは学校の生徒にまかせた。一番若い者たちだけはこの重荷を他へ転嫁することができない。であるから、おそらくかれらはこれを担うやり方を身に着け、われわれの面目を保ってくれるだろう。つまるところ幼児たちは、理屈のわかる年齢になる前には言語面で驚異的能力を見せるから、その負担を重いとは感じないかもしれない。(60頁)

 著者がこの発言に「少々皮肉な調子」を読取っていることがそもそも間違いである。ふだんバーギンのアイルランド語に関する本を読んでいる評者にはそう思える。ただし、その後に〈アイルランド語が国家のなかで準公式の地位にまで引きあげられたことは、表面的にはそうは見えない破滅だったのである〉と書く(60頁)。1922年にゲール同盟の支部が819あったのに1924年に139に減少したことがその傍証である。しかし根本的な問題はここで〈準公式の地位にまで引きあげられた〉という言葉遣いをしていることである。一体、どこから物を見ているのか。

〈ゲール同盟の理論武装として古典的な言説〉と著者が述べるものにダグラス・ハイドの演説がある。その中に注目すべき指摘がある。

アイルランドアイルランドらしさの連続性が損なわれたのは、ただ二つの点ばかりであります。まず一つにはアルスターの北東部であり、ここではゲール民族は追い払われ、この土地には異邦人が入植しました。そして母なるエリンはその同化吸収能力にもかかわらず、これまでのところこの異邦人を吸収するのに苦労しております。そしてもう一つ、土地の所有権であります。土地の九分の八を所有しているのは、大半が過去つねに海外に住んでいたもの、または現在海外に住んでいるものであり、アイルランドが同化吸収しているといえるのはその半分にも満たないのであります。(62頁)

言語の問題をこういう広い文脈に置くというなら、話はバランスを回復するのだが。以下、再び T・コーコラン神父の文章を〈剥出しで粗暴な〉暴言と断じたりする。一体、著者は何がやりたいのか。このような論調は分裂を助長するのみだ。英語を忘れて、虚心坦懐にアイルランド語の詩歌をふかく味わうことがあればよかったのに。アイルランド語文学についての言説を取上げて批判するだけでなく、そのアイルランド語文学を読めばよかったのに。歴史家である以前に文学者である著者にはそう期待してもばちは当たらないだろう。

 

アイルランド―社会と文化1922~85年

アイルランド―社会と文化1922~85年

 

 

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