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「命がけの実験」(梨木香歩)を読む


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新潮文庫 編『文豪ナビ 芥川龍之介新潮文庫、2004)所収



 梨木香歩のファンは或いはこれは読まぬ方がよいかもしれない。芥川龍之介についてのこのエセーは梨木らしからぬ箇所が多く、ダイハードなファン(著者のものならとことん読み尽くす人)でもなかなか好きになれぬだろう。「願わくば」という信じられない表記を著者で初めて見た(140頁)。誤植であることを祈る。新潮社は校正に手厚いことを誇る社ではなかったか。

 恐らく芥川龍之介研究に何らかの貢献をなすことはないだろう。ただ一点、評者も深く賛同する点がある。「歯車」に関するところだ。〈『歯車』に見られる凄惨な心象風景は、巧んで創られたものではない。(ここで初めて芥川は彼の技巧を離れ、結果的にそれを越えた)。そこに漂う、誰とも分かち合えない孤独は、作り物でない真実の迫力を持って迫ってくる。〉との指摘は鋭い。それまで超絶的な技巧で精巧な額縁を作り上げてきた芥川が初めてその技巧の彼方に越えていったのだ。それが晩年に訪れたことは日本文学のためにかえすがえすも残念であった。そう思うと、この創作の秘密を初めから体得した又吉の『火花』はすごい。

 梨木の作家的資質からいうと、芥川龍之介片山廣子松村みね子)の関係とか、そこにもからむアイルランド文学に通じる要素などに当然関心があるはずなのだが、そういうことには一言も触れていない。残念。

 芥川龍之介へのガイドブック的な本書にはもう一編エセーがある。阿刀田高の「ここから入ろう 短編小説の典型」だ。〈芥川龍之介は、この技において……つまり、短編小説にふさわしく、短編小説で一番輝く技を用いて、卓越していた。まちがいなく第一級の使い手であった。洋の東西、歴史の古今を通してながめても、たぐいまれな名人上手であった。〉と書き、さらに〈勉強もし直感も冴え、その典型を示した作家であった。オーソドックスで、折りめ正しい作風であった。その勉強には、小説の先進国フランスやイギリスへの目配りが広くめぐらされており、伝統的な日本文学や私小説とは異なった世界を創りあげている。〉と指摘する。

 阿刀田は〈小説は文章、思想、構成から成り立っている〉と述べ、その構成について〈ここにもまたいろいろな技があり、まるでなんの工夫もないように素朴に書いているケース(実はそれが一番の技となっているのだが)もあるし、複雑な技巧をこらしたものもある。〉と重要な指摘をする。この素朴で工夫なしにみえる技(スプレッツァトゥーラという)こそ書き手の理想であることはアイルランドのイェーツにおいてもそうであった。