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翻訳に関する古典中の古典


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別宮貞徳『翻訳読本―初心者のための八章』(講談社現代新書、1979)



 かつて、「欠陥翻訳時評」なる連載記事があった。

 それに取上げられることは、翻訳家にとって大いなる恐怖だったのではないかと想像する。この恐怖は約20年間つづいた。

 まさに、剃刀のごとき切れ味の論者だ。その論者が、翻訳者に求められる能力を、具体例をもとに丁寧に説いた書。

 内容は、呆気にとられるくらい、まともだ。

 翻訳者に求められる能力は何よりも日本語を書く能力であり、翻訳者はまず文章のすぐれた書き手でなければならない。

 これは、評者の立場から註釈すると、散文の話だ。詩の翻訳の場合は、単に日本語の能力だけでは足りないし、文章が書けるだけでも足りない。

 戯曲の場合はどうだろうか。やはり、詩の場合と似たような事情が存するだろう。

 ともあれ、散文の作品(小説や評論)の場合、本書に書いてある程度のことは、今や常識かもしれない。かりに常識でなければ、一読の価値はある。

 翻訳論の観点からは、特に、第6章「相似ではなく相同を」が、今なお考えるべき重要な問題を含み、興味深い。(聖書翻訳から出発した)ナイダの翻訳のダイアグラム(157頁)は考えてみる価値があるだろう。単語・文形の相似にしばられるのではなく、文意の相同を追究し、異なる文化風土のなかに息づかせること、という本章の主旨をよく具現化する。

 その後は、ナイダの翻訳理論は、むしろ「忘れられた理論」に属するようになり、近年のトランスレーション・スタディーズは、等価より「ずれ」のほうに着目する。いわゆる「メタ言語」として翻訳をとらえる。