よしもと ばなな『王国〈その1〉アンドロメダ・ハイツ』(新潮文庫、2010)
日本語が読める人だけでなく、すべての人に届くといいなと思える小説。第一部が出た段階では「五部作になるか六部作になるかわからない」と著者が語っていたけれど、結局第四部で完結した。
「王国」という題名からして寓話のようなひびきがあるけれど、著者は「童話的な手法」で書くことにしたと説明する。その意味は、「語り手の一人語りであること、物語のなかでかならずありふれた事件が起こること、直接的でなくとも全体に哲学的な要素を含んでいること」。
そんな目標はかかげてあるけれど、著者はけっして無理はしていない。「偶然では起こり得ないような事件が、ストーリーの進行にあわせて都合よく起こる、というような安直なやり方だけはやめようと思った」と語るくらいである。
語り手が「特殊な人物」であり、その語りのどこか「変な感じをそのまま押し進めていくうちに広がってくる世界」をえがきだそうとしている。そのねらいは成功している。語り手の言葉遣い、語りの文章が、暗い世界の中で明かりをつけるような手ざわりがあり、その感触は「キッド」におけるチャプリンのまなざしを想いおこさせるような優しさにあふれている。
副題にイングランドのポップ・ロック・バンド「プリファブ・スプラウト」の6枚目のアルバム 'Andromeda Heights' のタイトル曲がつかわれ、その歌詞全文(内田久美子訳)が小説冒頭に引用されている。「世の中からちょっと外れたような人たちが、目には見えない「家」のような何かをともに築き上げる」というモチーフをあらわすにはこの歌しかないと思ったそうだ。
都会で暮らすという異常さの中で、私たちの細胞に傷をつけるほどの「負の感情のエネルギー」を出すことなく、心おだやかに、ビルの谷間から見上げる星空にアンドロメダ・ハイツを築こうと、呼びかけられているような気がした。Paddy McAloon が書いた 'Andromeda Heights' を聞きながらこの作品を読んでいると、「今や人間はおかわりを遠慮しない居候のようなずうずうしさだ」という現実にやられてしまうことなく生きていけそうな気がする。大事な大事な物語だ。
Prefab Sprout, 'Andromeda Heights' (1997)