牧野信一は2013年、この作品によって現代に蘇った
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牧野信一「地球儀」
牧野信一(1896-1936)の短篇小説「地球儀」(1923)は、2013年の大学入試センター試験に全文が出題された。
経緯はともあれ、注目をあびた作品だが、作中の地球儀をめぐる創作について書いてみる。「長男が海を越えた地球上の一点に呼吸していること」を意識するために地球儀を買った祖父が、かんじんの息子の所在地が思い出せないでいると、母が「ヘーヤーヘブン」とたちどころに言う。
これはもちろん米国マサチューセツ州フェアヘーヴン(Fairhaven)のことだろうけれど、どうしてこの地名が選ばれたのだろう。あるいは、1841年、日本人で初めて米国に居住したジョン万次郎が学んだ地、Oxford School の所在地 Fairhaven からの連想だろうか。ここはもと捕鯨業の中心地であり、その頃は米国で捕鯨はさかんだった。そもそも、太平洋の無人島に漂着していた万次郎を救助したのは捕鯨船だった。1853年にペリーが日本に来航したのも、捕鯨船の補給基地の確保が目的のひとつだった。
そこから、想像は飛躍する。牧野信一の作品についてしばしば指摘される幻想性は、『白鯨』を書いたハーマン・メルヴィルのそれにいくぶんか類似するところがあるのではないか。
少なくとも、作品が発表された1923年の時点では日本人が渡米して暮らすということに、何の不思議もなかったろう。開国してから70年もたてば当然だ。しかし、ごくふつうの人にとっては、海の向こうに暮らすというのは、祖父がやったように、地球儀を回して、日本と米国とを「両方の人差指で」おさえでもしないかぎり、なかなか実感しにくいことだったのではないだろうか。なにがしかの「幻想性」をそこに籠めたって、ちっとも非難されることじゃない。海の向こうというのは、想像できるようで想像できないものだからだ。