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美しいコミューンの哀しみ


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Richard Brautigan, In Watermelon Sugar (1968)



 これほどの英語で綴られていなかったら、ブローティガンIn Watermelon Sugar はもう忘れ去られていたかもしれない。

 おもえば、出版された1968年という年はアメリカ文学が迎えた三度目の annus mirabilis (奇蹟の年、驚異の年)だった(Klinkowitz による)。一度目は1851年。二度目は1925年。

 だけど、いま想いおこしたとして、本書はどんな作品と位置づけることが可能だろうか。1968年ころに始まった文学史的傾向に対して Klinkowitz は 'disruptive' の語で形容した。しかし、それは1980年のことだった。

 いまはどうだろうか。わたしは、ひょっとして「ポスト・アポカリプティク」の系譜につらなるべき萌芽を宿した作品だったのではないかと思う。

 従来は、一見するとユートピアに見えて実はディストピアである、美しいコミューン iDEATH の二層構造に焦点があてられがちであった。

 だけど、いま、21世紀に生きる我々の視点からみると、本書冒頭の 'I am here and you are distant' の散文詩のようなくだりは、かぎりなく黙示的にひびかないだろうか。

 そのことを暗示することばが、すぐあとに綴られている。iDEATH についての感懐を語り手はこうしるす。 'It is beautiful. I can also see it with my eyes closed and touch it.'

 この美しさは、存在するものの美しさというより、むしろ本質的には非在であるものの美しさであるからこそ、目を閉じても見ることができ、ふれることができるのである。そこから立ちのぼる哀しみのゆえに、本書は記憶から消えない作品となった。