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日本人の英語能力が一番高かったのは明治の十年代


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高島 俊男『お言葉ですが…〈5〉キライなことば勢揃い』(文藝春秋、2001)



 シナ文学者による日本語の蘊蓄本もこれで5冊目。ますます、快調である。今回は日本語の話題ひとつと、英学のことを取上げる。

 著者は「電話を入れる」の言い方が承知できない。再三、そのことを指摘する。セールスマンが自分の所属する事業所へかけるような場合ならまだしも、格調ある文章のなかでもちいるべき語では断じてないと。

 この表現の由来や歴史については諸説あり、いまだに賛否両論がある。ただ、著者の議論に欠ける言語学的側面をひとつ指摘しておきたい。それは、「電話を入れる」と言うことはあっても、「電話を入れはじめる」とは決して言わないことである。これにたいし、「電話をかけはじめる」とは言うことが可能である。

 例をひとつあげると、「浜田はもう一度電話を掛け始めた。」(恩田陸『雪月花黙示録』、2013年)。この例は、少なくとも、電話に関して、「かける」と「入れる」は用法が違うこと、従って、おそらく語義や機能が等価でないことを示す。新聞記者などが「第一報を入れる」に近いニュアンスが「電話を入れる」にはあるのかもしれない。つまり、昔の交換機のように、通話先へと電話交換手がコードを穴へさしこむ(いれる)瞬間の、相手に接続をする、つなぐという感覚が無意識に残っているのかしれない。それにたいして、「電話をかける」のほうは、(「電話を入れる」の意味もふくむが)もう少し意味が広いのではないか。

 本書には、めずらしく、英語に関する話題が三つ載っている。いづれもおもしろいが、すべてに触れることもできないので、ひとつだけ。つぎの指摘は興味深い。

日本人(特に知識人)の英語能力が一番高かったのは明治の十年代である。


その例として、「高田早苗(のちの早大総長、文部大臣)は明治十五年に東京大学を出て数年後に読売新聞にはいったが、日本語の文章を書いたことがなかったのでたいへん困った、と後年述懐している」とある。

 この事情は、(日本人が日本人から英語をまなぶようになって)のちに変化する。

日本人の英語能力は明治のなかばごろになるとガクンと落ちた。西洋の学問をおさめた日本人が育ってきたからである。


おもしろいことに、明治三十六年に英国留学から帰ってきて東京帝国大学英文科の講師になった夏目漱石は、学生の英語力低下について問われて、「それは当然だし、わるいことではない」と答えている。「知識人が自国語よりも英語のほうが便利だというのは植民地的風景」だと著者は感想を述べている。

 もうひとこと。明治の三十年代ころから、日本人の英語学習の様相に変化が現れたとも書いてある。それまでは、何らかの目的のために英語を学んだのが、この明治なかばごろから、英語のために英語を学ぶという人たちが全国いたるところに多数出現してきたと。これを著者は「日本人の英語信仰」と呼ぶ。