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「名前」の前は何の前?


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高島 俊男『お言葉ですが…〈4〉猿も休暇の巻』(文藝春秋、2000)



 シナ文学者の高島俊男によることば談義の第4弾。

 あるとき、ナマエをどう書くか迷ったという。人の名に前もうしろもあるはずがない。それなら、なぜ「前」というのか。この「前」はなにか。そんな疑念が生じて以来、「名まえ」と書いているという。

 「名前」は存外、新しい単語で、最も古い用例でも十九世紀前半、江戸末期であるという。

 いったい「前」とはどういう意味か。解釈に頭をひねったあげく、本書では、他の語の下について「何不足なくそなわった」つまり「すぐれた」の意味の「前」だろうとしている。

 結論は、名前は「よい名」ということだ。その意味の類例としては、すぐれた腕の意の「腕前」、よい気性の意の「気前」、りっぱにできた建物の意の「建前」、申し分ない男ぶりの「男前」、すぐれた技倆としての「手前」等々。

 このほかにもおもしろい話がいろいろある。「胃にやさしい」の「やさしい」が「害はある。しかし今までの製品よりその悪さの程度はやや低い」ということであるとの指摘には驚く。たとえば、「胃にやさしい風邪薬」とは「副作用で胃の調子が悪くなる風邪薬」なのであって、ただ「今までのよりも打撃がやや小さい」というにすぎないそうである。読み手に「胃の調子がよくなる風邪薬」であるかのような錯覚をあたえることをねらった、この言葉遣いを考えついた人は知恵者なるらん。このことを著者に教示した人は、そういう人のことを「イカサマ商人」と呼んでいる。

 「地球/環境にやさしい」のたぐいも同様とか。目から鱗の話である。