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12世紀のイングランドにタイムスリップした感が味わえる秀逸な歴史ミステリ


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アリアナ・フランクリン『アーサー王墓所の夢』(創元推理文庫、2013)



 この本を手にとって驚いた。登場人物の表が1と2とに分かれている! 人物相関図を脳内に構築することが必須のミステリかと、身構えたが、さすが評判の名シリーズ、語り口に乗せられるので、そんな心配はいらない。さらに、ウェールズケルト的伝承に興味がある人にはこのミステリはどんぴしゃだ。また、12世紀西ヨーロッパに関心のある人にも興趣深いことだろう。

 アリアナ・フランクリン(Ariana Franklin)の2009年のミステリ小説『アーサー王墓所の夢』は原題が Relics of the Dead: Mistress of the Art of Death 3 で、シリーズ第3巻に当たる。これは英国での題で、米国では Grave Goods の題で発行されている。

 シリーズ第1巻で Crime Writers' Association の最優秀歴史ミステリ賞を受賞した。シリーズは第4巻まで出ていたけれど、著者は2011年に他界した。

 このシリーズは架空の中世の女性病理学者アデリア・アギラールを主人公とする。今回の物語は12世紀のイングランド南西部グラストンベリー大修道院を襲った地震に始まる。

 その話に入る前に、シリーズ第1-2巻のおさらい。第1巻は中世ケインブリジでの子供4人の殺人事件に端を発する。その犯人を見つけるため、ヘンリー王はいとこのシチリア王に検屍の専門家の派遣を依頼。送られてきたのはナポリの南にあるサレルノ大学(*)を出た天才解剖学者、イタリア人のアデリアだった。(* サレルノ医学校は9世紀創設の世界最初の医学校。当時の西ヨーロッパの医学知識の最高峰。)

 第2巻はヘンリー王の愛人の毒殺事件に端を発する。王は王妃アキテーヌのアリエノール(*)が怪しいとにらむ。そこで、またもアデリアに調査を依頼する。(* その宮廷でトゥルバドゥールを庇護したことで著名。他に、レーで知られる詩人マリー・ド・フランスや、アーサー王の物語詩で有名なクレティアン・ド・トロワもその宮廷にいた。)

 さて、第3巻。グラストンベリーは古来、アーサー王の休息所(再び呼び出されるのを待つために眠っている)とされてきたところだ。つまり、グラストンベリーはアヴァロン(アーサー王が死後に運ばれた西方の異界の島)であると信じられてきたのだ。(*) (* Glastonbury は古名を Ynys Witrin [Island of Glass 「ガラスの島」の意]という。また、 Avalonウェールズ語の afal [apple 「りんご」の意]に由来するといわれる、ケルトの異界の神々のくにだ。一方、ケルトの異界の名としての Caer-Wydyr [Fort of Glass 「ガラスの砦」の意] がガラスつながりで Glastonbury と関係があるとすれば、Avalon と Glastonbury とを結びつける考え方はあながち無茶ともいえない。)

 修道院の墓地から、二体の隠れていた人骨が出てくる。はたして、これらはアーサー王と王妃グウィネヴィアのものなのか? 6世紀初頭ころに最後の戦い(Battle of Badon)をベイドン山で戦ったとされるアーサー王の骨なのか。

 イングランド王ヘンリー二世はそうであってほしいと願う。ウェールズ地方の反乱に手を焼いていた王は、これがアーサー王の骨であるという証拠がほしい。ケルト人たちに、もう未来の王が蘇って助けに来てくれることはないと知らしめれば、反乱は完全に鎮圧できるだろう。

 その証拠を握るために、王は病理学者アデリア・アギラールに骨の鑑定を依頼する。そこでアデリアは一路グラストンベリーに向かうのだが、同じくグラストンベリーに向かうのはセントオールバンズの司教であり、この司教はアデリアの父親なのだ。さらに、得体の知れない悪の一味がアデリアの調査を妨害せんと待受けている。どう考えても今回の骨の鑑定は一筋縄ではいきそうにない。

 これだけの舞台を設定した時点で、歴史ミステリ小説としてはかなり興味をかきたてられる。そして、読んでみると、この期待は裏切られることがない。なんといっても、冷徹な頭脳と堅忍不抜の意志をそなえた女性アデリアは魅力的だ。外観については「みすぼらしい」の一語で片付けられているが。目立つのを好まないがゆえのことだ。しかし、身なりが召使いより粗末だとしても、この人物の非凡さは覆いようがない。

 グラストンベリー大修道院を襲った地震の様子はカラドク修道士により、次のように書き記される。

”そして地面が波打って大きな口をあけ、大木が倒れ、蝋燭が倒れて炎が家々を焼き、人々や動物の阿鼻叫喚のなかに主の声が聞こえた” (11頁)


この最後の部分は、原文の 'And the Lord’s voice was heard in the screams of people and the squealing of animals as the ground undulated and opened beneath them' の人々の叫び screams と動物の悲鳴 squealing とに聞かれる /sk/ 音の頭韻(alliteration)の響きを見事に写し取っている。

 この修道士はここまで記録したあと、修道院の墓地で不思議な光景に出会う。三つの人影が棺を地割れのなかに下ろすところを目撃するのだ。この棺は単数形かどうかが気になるので原文を見ると 'A coffin.' と確かに一つだ。

 三人はそのあと、ひざまずき、ひとりがこう叫ぶ。「アーサー、アーサー! あなたとわたしの魂に神のご加護があらんことを」。原文では 'Arthur, Arthur. May God have mercy on your soul and mine.' これこそが、その後の物語の展開の導火線となる。

 瀕死のカラドク修道士は、この幻のような目撃を甥のリースに遺言として伝え、世を去る。リースは約20年後、吟遊詩人(bard)となり、ヘンリー二世(ヘンリー・プランタジネット)の前でこの話を証言する。ヘンリーはアーサー王の遺骨であることを確かめようと動き出す。

 ここで一つ分らないのは、おじからアーサー王の埋葬を聞かされたリースは、その時点では「骨の髄までウェールズ人であり、イングランド人たちにアーサー王が死んだと知らせるつもりはなかった」('Rhys ... was a Welshman through and through, and it would not do for these English to know that Arthur was dead')のに、どうして20年後に気を変えたのかということだ。リースの名は Rhys と綴り、あの古典叢書 Everyman's Library を命名し初代編集者となった詩人 Ernest Rhys の例を引くまでもなく、典型的なウェールズ人の名前だ。

 「骨の髄までウェールズ人」であるリースが、対イングランド戦で捕虜となり斧をつきつけられたからといって、ウェールズ人の魂を売るとは思えない。作品中でも「ウェールズ人のアーサー」('Arthur of the Welsh')とあるとおり、彼らにとっては、あくまでアーサー王ウェールズ人の王なのだ。

 この矛盾はどう解けばよいか。「イングランド人たちにアーサー王が死んだと知らせるつもりはなかった」(17頁)と訳したのがまずかったのではないか。「つもりは」と書いた気持ちはよく分る。主語の意志のようにとりたくなったのだ。けれど、原文は Rhys を主語とする文と 'it would not do' 以下の文とからなる重文(compound sentence)だ。後半の文の前に ', and' とあるから。

 ここの 'do' は(通常否定文で使われる)自動詞の用法で、行為などが適切であるとか、規則にかなうといった意味だ('be adequate; be suitable, acceptable, or appropriate' などの意)。だから、(一般的にいって)よくないことについて述べるのに使われる。したがって、「イングランド人たちにアーサー王が死んだと知らせるのはよくなかった」と解釈するのがせいぜいだ。もちろん、この見解がウェールズ人の立場から見てのものであることは確かだ。だけど、それをここでリースの意志のように訳してしまうと、物語のあとの展開と整合しなくなる。しかし、どう解釈するにせよ、不可解なことに、リースはアーサー王の死骸をイングランド王に差出した裏切り者であることには違いない。なぜ、こんなことになったのか。

 ラテン語が随所に出てくるが、その読み方は勘弁してほしい。どうして(不正確な)英語読みにする必要があるのか。ルビに出てくる分には看過したとしても、本文に堂々と出てきた日には、目をそむけたくなる。ラテン語ラテン語として書いてほしい。英語文学の翻訳をプロとして行うならラテン語は必須の知識と考えてほしいものだ。そして、意外にもミステリにはラテン語がよく出てくる。特に歴史ミステリには。さらに、本作の場合のように教会ラテン語も使われている場合には発音が違うこともできれば留意してほしい。

 いま述べたような翻訳上の問題とラテン語の取扱いの拙さはあるけれど、作品としては非常に面白い。読ませる。

 アデリア・アギラールが旅を続けているとき、グラストンベリーが全焼したという知らせが入る。「イングランドの心臓」とうたわれるグラストンベリーが。グラストンベリーが聖地としていかに重要かはこう語られる。

グラストンベリーはだれの記憶にもないほどの昔から、アリマタヤの聖ヨセフ、アイルランドの聖パトリック、聖ブリジッド、聖コルンバ、そしてウェールズの聖デイヴィッド、聖ギルダスといった、もっとも神聖な聖人たちの力を得て、何世紀にもわたって脈打ち続けていた心臓だった。それがいま、止まってしまったのだ。(56頁)


 そのあと間もなくだった。ヘンリー王の使者がアデリアをウェールズに召喚しに来たのは。

 アデリアをヘンリー王の命に従いグラストンベリーに送り届けたボルト隊長はこう言い残した。”この地にあった何かが消え、別のものが入りこんでいるようです”――いったい、何が入りこんだというのか。