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持ちやすく愛着がわく本(池澤夏樹訳『古事記』)


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池澤夏樹 訳『古事記』(河出書房新社 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01、2014)



 日本語の散文として、また本として、きわめて読みやすい。

 読みやすさのために質が落ちることなく、日本語として素晴らしい。これは池澤夏樹の筆力をもってして初めて可能になる。

 ハードカバーの堅牢さを備えながら、本として、軽く持ちやすい。活字の組み方がとても読みやすい。一行がちょうどよい分量。表記に工夫があり、神名を丸括弧に入れたうえでの、意味による分節表記と太字は画期的な試み。例えば高御産巣日神なら「(タカ・ミ・ムスヒのカミ)」のようなぐあいで、分かりやすい。脚注はあっさりしているが現代読者向けに分かりやすい注がついている。

 『古事記』で最初の歌謡「八雲立つ」(櫛名田比売と住むための神殿の地、出雲の須賀に湧く雲を見て詠んだ歌)の脚注に〈ウタの語源は「(手を)打つ」かもしれない〉とある(65頁)。創見とすれば興味深い。

 大国主神と共同統治する少名毘古那神が行く常世国についての脚注に〈海の彼方にある祖霊の国。地下的な性格も強い。黄泉国に直結すべきではないだろう。小人は世界各地の伝説に登場するが、ユング風に言うと、「意識の軌道の外側にある諸力、または無意識の守護者である」という。〉とある(90頁)。現代的な解釈で面白い。

 附属する月報の京極夏彦の〈「古事記」の魅力〉が談話を記したものながら非常に刺激的でおもしろい。「物語・歴史・歌謡が綯い交ぜになっているところが一番の魅力」というのは、例えばフランスの chantefable を想起させ興味深い。テキスト生成の過程について、語る/記すという二つの行為から多くのことを読み取る。記憶と記録。柳田國男流の主観/客観。テキストを間に置いた虚構と現実の関係性。怪談実話と呼ばれるジャンルがなぜこの国で成立し得ているのか。ノンフィクション、フィクション、メタフィクションをダイナミックに行き来するテキストが古代に成立していた。江戸期に一般的だった物語の語り直し、書き直しに通じる共同作業(誦習/記述)。現状、創作は個人がするものとされているが、はたしてそうなのか。宗教書としての「古事記」等々。

 初版(2014年11月30日)の誤植。文学全集の第1巻だけに周到な校訂を経ていると思って読むと失望を禁じ得ない。

 13頁。「脚注で説明できなってしまうのです。」→「説明できなくなって」
 346頁。志自牟の注「家の主(P323)」→「(P322)」

 つぎは誤植でないが読みにくい(同種の箇所が無数にある)。

 34頁。「この速秋津日子とハヤアキヅヒメの二人は」→「速秋津日子と速秋津比売」

 このような表記にした理由が13頁にある。神名につき二回目に振り仮名をつけ三回目に片仮名だけにするという自分で決めた原則である。そのルールはいいとしても適用する場面が不適切。読者のことを第一に考えるなら同一句において表記のレベルは統一すべし。さもなければ、読者は表記の差異に理由を考えねばならぬ。(このローカル・ルールは通読する際に憶えてしまう人も多いだろうけれど。)

 小説家としての信念を反映しているのだろうが、この池澤夏樹個人編集日本文学全集全30巻に、芥川龍之介川端康成三島由紀夫太宰治が入っていない(近現代作家集に入るのかもしれない)。このことの意味をどう捉えるか。布波能母遅久奴須奴神(フハ・ノ・モヂクヌスヌのカミ)への脚注(67頁)を想起する。そこにこうある。「よくわからないし存在感もない。」言いたい放題だが、個人編集だから。

 梅原猛古事記を詩劇と呼んだ。散文に韻文の歌謡が混交するスタイルが、上に述べたようにフランスの chantefable を想わせもし、詩劇を想わせもする。のちに源氏物語でも花開く。

 こういうスタイルを映えさせるには、訳にあたりできるだけ原文のリズムを活かすのがよい。欽定訳聖書が原語をほぼ直訳して成功した先例もある(聖書も散文と詩とが交じる)。

 この池澤訳は驚くほど原文の息遣いに近い。原文(書き下し文)を音読してこの訳を見ると、リズムも言葉の長さもほぼ同じだ。欽定訳聖書に近い味わいだ。分かりやすくしようとして冗長になった訳は、古事記のような詩文混交体には向かぬ。必要以上に冗漫な散文は凝縮した詩魂を殺す。

 けれども、原語を生かした訳はそのままでは理解しにくい。その点を補うのが脚注で、絶妙なバランスになっている。

 歌謡の部分は原詩と散文訳の並列になっている。恐らく、歌は歌としてそのまま味わってほしいのだろう。

 特筆すべきことは、歌謡の訳で冗長さが避けられている。説明的になっていない。例えば、林望訳の源氏物語における和歌と比べるとよく分かる。解釈をなそうとする学者が親切心を抑えるのはむずかしい。池澤夏樹のように、歌謡の訳を原文とほぼ同じ長さにするためには思い切った決断が要る。しかし、それにもかかわらず、この長さで達意たり得ているのは、さすが fabbro (匠)である。

 系譜の部分について。神名・人名の羅列が飛ばされがちと承知のうえで、羅列が「たぶんとても起源の古い文体」だとし、「口承文芸の中でも単調な繰り返しに近いリズム感が耳に心地よい」ことを指摘する。いや、指摘するだけでなく、本当にそう感じているはずだ。だから、「系譜は大事です」と確信をこめて断ずる(12頁)。

 系譜の真骨頂が例えば十九代允恭天皇系譜に見られる。この天皇の子として「軽大郎女(カルのオホ・イラツメ)、別名は衣通郎女(ソ・トホシのイラツメ)。(この名の由来は、身体の光が衣装を透してさえ見えたからである。)」が挙げられる。これへの脚注が脚注というより、池澤夏樹の個人的コメントに見え、まことに好ましい。「美女の形容はさまざまあるが、これは格段にすごい。」と書く。詩でこれに類する表現を見たことがあるが、古事記のような書に、つまり、天武天皇が言う、嘘混じりの帝紀旧辞を正す書に、このような文言が残ることの意味を考えてしまう。しかし、それも、系譜をきちんと読めるようにしてあるからこそだ。

 なお、系譜の名前がところどころ太字になっている。この説明がないが、たぶん、太字の名はその後の話に出てくるということなのだ。だから、急ぐ読者は系譜の太字だけでも追うといい。最後の太字が三十一代用明天皇の子、上宮之廐戸豊聡耳命(ウへのミヤ・ノ・ウマヤトのトヨトミミのミコト)で、もちろん、聖徳太子のこと。このあたりで歴史時代に入り、もう「神話の空気」がなくなる。

 355頁の7行目「この老人がいた場所をはっきりと見て示したので」について、脚注に「ここはよくわからない」とある。原文は「故、能く其の老の所在を見しめき」となっている(読み下し文)。ここは萩原浅男の注にしたがい、「シメを使役の助動詞とし、よく見させた意」ととるのがよいかもしれない。萩原訳は「そして、その老人のもといた場所を人々によく見させた」となる。これなら、よくわかる。