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神道とエジプト、および警世——ピラミッドの秘儀とキリスト教的な対人術とが結ばれる


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保江邦夫伯家神道の祝之神事(はふりのしんじ)を授かった僕がなぜ ハトホルの秘儀 in ギザの大ピラミッド』(ヒカルランド、2013

保江邦夫『伯家神道の祝之神事(はふりのしんじ)を授かった僕がなぜ ハトホルの秘儀 in ギザの大ピラミッド』

 

伯家神道の祝之神事とエジプトとの関係については、著者の他の書籍でもふれられているが、管見のかぎりでは本書がいちばん詳しい (後述)。しかし、それでも納得は行かない。納得が行かないけれども、まだ公開するときではないのだろう。この時点で書けるぎりぎりまでは書こうとしていると思う。

本書は題名の通りの内容なのだが、著者のことばによれば、〈日本神道の源流に位置する伯家神道の秘儀参入からその原型が執り行われていた舞台だったというエジプトのピラミッドに引き寄せられるまで、そのすべての体験〉を綴った書ということになる。



警世については著者はめったに書物ではやらないが、本書では二つおこなっている。名指しはしていないが、書評で推測するのは自由であると思うので、警世の精神を広めるために、あえて書いてみる。

二つの事例ともある本に関る。人間はだまされやすい。頭で考えてこれは自分にぴったりの本だと飛びつき、読んだ結果、すばらしいと満足したとしても、そこに落とし穴があることがある。それを見破ってもらい、罠から救われた事例だ。

二回とも救ってくれたのは、木村達雄氏。氏は、著者が人生に最も大きな影響を受けた人物。数学者で合気道家。実は、氏も最初はだまされたが、それらの本にかすかな違和感があり、その正体を最終的には見極めることができたのである。

著者の〈魂の師〉である木村氏が、著者が〈道を外そうとしていたとき〉に的確に指摘してくれたというできごとである。

あくまで、木村氏の見解と、それにもとづく著者の反応の事例であることを、あらかじめお断りしておきたい。

(目次)
エスが語った 愛
アシュター・シェラン
エジプト旅行
ピラミッド次元転移


エスが語った 愛
本書136頁以降に、著者が岡山の大型書店で出会った分厚い本のことが出てくる(2010年12月頃)。幅3cmほどの背表紙に2cm四角の巨大な文字で「愛」とあり、その横に「イエスが語った」と書かれている本だという。裏表紙には〈明らかにイエス・キリストを描いたと思われる小さな肖像画が印刷〉されていて、端正な顔立ちの白人男性の姿とある。著者はアメリカ人女性で、ある日彼女の前にイエスが現れ、自分の肖像画を描くように依頼された。

この説明に合致すると思われる本が太陽出版から出ている。著者は Glenda Green. もしその本だとすると、原著は1998年に刊行されている。

木村氏は読み終わったあと、著者に電話で〈すぐにでもその本を捨て去るか焼き払ってしまえ〉と告げた。氏がそう思った理由は、氏の愛読書であるベアード・T・スポールディング著『ヒマラヤ聖者の生活探求(第1巻〜第5巻)』と比較して、雰囲気が決定的に違っていたからだ。

頭で考えて読む限りはその本は〈愛というものについてのすばらしい主張や見事な解説〉が書かれているが、スポールディングの本と比べると違和感があると。結論として、その本は〈神やキリストの名前を騙って人々を惑わそうとする暗黒面〉からの使いが書いた本と木村氏は見破ったという。そのおかげで、著者は迷いから覚めた。ただ、著者にも、イエスが白人として描かれていることに少なからず違和感があった。が、〈森羅万象あらゆるものは愛で動かされている〉との内容に、自分の考えと同じだと違和感を消していた。

木村氏が喝破した内容は本書140頁に書かれている。それを聞いた著者は〈せっかく魂が敏感に察知した危険性も、悪魔の美辞麗句で飾り立てた見事なまでの論理の展開の前にはかすんでしまい、僕自身は完全にその手中に落ちてしまう道を邁進していた〉と反省する。そして、本に巣食う悪魔に魅入られないための最強の方法、すなわち、二度とその本を読まないことを銘記した。



その本を読んでいないので意見をいえる立場にないが、スポールディングの本のほうを信頼する木村氏の立場は理解できる。スポールディングの本は、この世に存在することが奇跡のような書だから。頭で捉えるのでなく、魂で行間ににじむものを感じ取れば、この二つの本の間にはそのような雰囲気の違いがあるのかもしれない。

非常に簡単な言い方をすれば、暗黒からの罠は左脳に働きかけるのを得意とし、一方、魂からの文字に表れないメッセージは右脳に働きかけるということか。しかし、そうだとしても、著者や木村氏のような人物でさえ一度はだまされるほどであるということは、この罠はかなり巧妙なものなのだろう。一見したところでは、自分の信じるものに酷似した外見をしているので、なおさら厄介だ。


アシュター・シェラン
本書130頁以降に、著者が姫路駅の書店で遭遇した本のことが出てくる(2012年7月24日)。表紙の両端に「アシュター」の名前が記されているという。

モーセやイエスを助けたUFO艦隊の司令官が書いたという本で、〈旧約聖書にも新約聖書にも悪意をもって書き換えられた教えが多いと指摘〉されている。その中にモーセやイエスの〈真の教えは愛に生きるということにつながるものだけなので、各自が良心に従って正しく見分けることができるはずという警告〉も与えられている。

司令官アシュターというところに著者は反応するのだが、〈何か心の奥深いところに引っかかるものを残し〉ながら、著者は木村氏にこの本を送る。

読了した氏は、上述の「イエスが語った 愛」の本と〈同じ種類の違和感を覚えた〉。つまり、〈旧約聖書新約聖書に記されているモーゼやイエスの言葉の中には意図的に入れ込まれた間違った教えが少なくないので愛と直感によって嗅ぎ分ける必要がある、などという確かに重要な指針と映る言葉が各所にちりばめられてはいたのだが、そのどれもが何故かむなしく響いてくる〉というのだ。

結局、〈温もりも輝きもまったく伝わってこないというのも、前回と同じく神やキリストの名前を騙って人々を惑わす堕天使ルシファーが背後で暗躍していたからだと感づいた〉木村氏は、著者に全貌を明らかにする。



調べてみると、表紙に書かれているという「アシュター・シェラン」著の本は、一冊出ていた。

本書と同じヒカルランドから出版されている。皮肉なことに、本書が絶版であるのに対し、「アシュター」の本はいまもカタログに記載されている現行書である。

内容が正反対の本をどちらも出すということは、出版もビジネスと考えれば、あり得るかもしれないと認めたとしても、本書の編集担当者が著者の東京の秘書をつとめていることから考えると、ヒカルランドが「アシュター」の本を残し、本書を絶版にしていることは釈然としない。本書の示唆するところにしたがえば、むしろ逆であるべきではないか。



この本も読んでいないので意見をいえる立場にないが、ひとつだけ言えるのは、宇宙艦隊司令官の「アシュター」や「アシュタール」の名前は、あちこちで目にすることがある。

その名が冠してあるからといって飛びつくのは危ないということを、上の事例から教えられる。また、逆に言えば、司令官アシュターのことは真実の話であるがゆえに、偽の情報をまぜた悪意あるものをわざと広め、世の信用を落とす工作がされているのかもしれないとも思える。

このようなものが世間にあふれている状況では、その真偽を見定めるのは容易なことではない。評者としては、今のところ、上に挙げた木村氏のように、スポールディングの本から受けるものとの比較でしか、おしはかることができない


エジプト旅行
著者が、木村達雄氏のお伴としてエジプト旅行をしたことが書かれている(2012年11月)。二人で行くつもりが、結局は木村氏の合気道門人6人および、著者の合気道の弟子の一人で神主の人物、それに著者の姪、の計10人の一行となった。

著者の目的は、ギザの大ピラミッドの王の間で伯家神道の祝之神事の〈真似事〉をすることであった。そのために神主と巫女役の姪とに同行を依頼した。なぜピラミッドで伯家神道の神事をと、だれでも疑問に思うが、その理由は書かれていない。ただ、伯家神道の祝之神事が古代エジプトと何らかの関わりがあることについては確からしい。

王の間を貸切りで訪れるというツアーで、申込む前にすでに満席であったが、多くの困難を乗越え、旅行が実現する。肝腎の著者の計画は、邪魔をする者があり、失敗に終わったかに見えた。

ところが、ツアーの最終日に、別のツアー参加者である女性二人組の一人から事の真相を著者は聞かされる。それによると、著者らの一行10人およびその別の参加者2名はすべて、6000年前のエジプトでつながっていたことが判明した。そのときも、著者と木村氏とは特別な役割をエジプトで果たしていた。

まるであらかじめ目に見えない経緯でこの旅行が整えられたかのような驚愕の展開である。旅行会社の主催するエジプト・ツアーでこのようなことが起きるとは、ふつうの読者には信じられないだろう。が、著者・保江邦夫の本を読んでいる人なら、数々のことが符合し、ああそうだったのかとなるだろう。その意味で、自伝の要素は多いが、保江邦夫に関心のある人には必読の書である。


ピラミッド次元転移
最終章で、以上を統合するような話題にうつる。著者がエジプトのピラミッドの中で体得したことと、著者がそれまでに継承していたキリスト伝来の活人術とが、ある意味で統合されるということを著者が理解するのである。

後者はいわば近接的な技法であるが、前者は遠隔的な技法である。どこにいても大ピラミッドの王の間につなぐという意味で遠隔的で、著者はこれを「(ピラミッド)次元転移」と名づける。前者の中に後者が統合されて、それの発動とともに、そこの空間が変容する。

ここに、ピラミッドの秘儀とキリスト教的な対人術とが結ばれることになる。これが、著者の理解によれば、『マグダラのマリアによる福音書』(河出書房新社) に書かれている、イエスマグダラのマリアに関わる内容の真相になる。ただし、福音書本文にはなく、翻訳者の解説に出てくると思われる。[その後、同書で確認したところでは、福音書本文にも、翻訳者の解説にも出てこない

なぜこのようなことになるのかは、本書の範囲を超える。