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異色のコーヒー・ミステリー――京都の珈琲店を舞台に謎の男女が蠢く


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岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』宝島社文庫、2012)

 

 主人公アオヤマの(もと)恋人、虎谷真美がやたらと怖い。こんな恋人、ありか。

 出会ったとたん、賀茂大橋から丸太町橋まで1キロも走って逃げるって、どれほど怖いんだ。やっと撒いたと思ってオアシスのはずの珈琲店タレーランにたどりついたら、5分後に追いつかれるって。ホラー小説かと思ってしまう。

 アオヤマの台詞<柔道をしてなお発散されない、あり余る彼女の衝動をくすぐる何かが、どうも僕にはあったようだ>は自虐的にもほどがある。しゃきっとしたまえと、声をかけたくなる。

 本書は第10回『このミステリーがすごい! 』大賞最終候補作に残った作品が原型らしいから、ミステリーなのだろうが、そのミステリー部門を担当する女性バリスタ(コーヒーを淹れるプロフェッショナル)、切間美星(きりまみほし)の推理は、切れるには切れるのだが、面白いのか面白くないのか、どうもはっきりしない。謎解きをしたあとの決め台詞<たいへんよく挽けました>は、とってつけたようなひびきがする。

 作品の中に存在感のある人物が、虎谷真美以外には殆ど見当たらない。存在感の希薄な主人公が同じく希薄なバリスタのいる珈琲店に通うだけの小説に見える。

 京都市内の交通についても違和感がある。文中に「終点の京都市役所前駅」の表現があるが、だとすると、(京阪京津線の乗り入れ区間が太秦天神川まで延長された)2008年1月16日以前ということになる。本書の出版は2012年だから、せめて「終点の」は削除するか、註をつけておくべきだったろう。それとも、これは評者の勘違いか。いづれにしても、このあたりの謎解きは京都の地理勘がない人にはたして分かるのか。

 というような不満があるにはあるが、読み終わってみると、途中で止めずに最後まで読んでよかったと思う。ミステリーとしては相当変わっているが、時に実験的現代小説を想わせるような場面転換などの文体上の試みもされており、スリリングである。アオヤマと美星の心の動き、通い合いは、読み終えた読者に余韻というか、残り香を与える。ちょうど、うまいコーヒーが残すような複雑な味わいのまじりあった残り香を。

 結局、作者としてはタレーランの名言(本書の扉に引用)をプログラミング・コードとして作品に展開したらどうなるかの実験をやってみたのではないかと思う。こんな言葉である。

良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い。

この言葉はどうしても元のフランス語で味わってみたくなる。

[café:] Noir comme le diable, chaud comme l'enfer, pur comme un ange, doux comme l'amour. -- Charles Maurice de Talleyrand-Périgord (1754-1838)

作者のその試みは成功しているのではないか。本書はまさにそのような作品である。