鏡花の出世作のひとつ。職務にあまりに忠実な巡査を描く短編小説。
鏡花の作文技術の高さは早くも明白、隠れようもない。みごとな短篇。明治28(1895)年作。ディケンズもかくやと思われる、人物造形、情景描写、プロットの冴え、文体が醸す雰囲気、イメジャリの周到さ、構成の妙、どれをとっても、小説芸術の手本とするに足る。
これほどのものを読むと、鏡花はいったい、どこでこれだけの文章力を鍛えたのかと、そちらのほうが気にかかるくらい。
しかし、現代語訳があることからも分かるように、現代人にとっては必ずしも読みやすくはない。まず、辞書のことがある。広辞苑では足りない。少なくとも、『精選版 日本国語大辞典』クラスのものは要る。
たとえば、八田巡査がいかに職掌に厳格な人物であるかを、お香(八田の恋人)の伯父が語る場面がある。この伯父は、なんとしてもお香と八田の恋の成就は認めぬのだ。だが、口では八田のことは気に入っているなどと、嘯く。
う、んや、吾ゃあいつも大好きさ。八円を大事にかけて、世の中に巡査ほどのものはないと澄ましているのが妙だ。あまり職掌を重んじて、苛酷だ、思い遣りがなさすぎると、評判の悪いのに頓着なく、すべ一本でも見免さない、アノ邪慳非道なところが、ばかにおれは気に入ってる。まず八円の価値はあるな。八円じゃ高くない、禄盗人とはいわれない、まことにりっぱな八円様だ
八田の月給八円をだしにした、この伯父のことばに含まれるアイロニーというか、毒に、お香は身を切られる思いがする。言葉は、生かしも殺しもするということを、鏡花は知り抜いている。
この引用で、「すべ一本」でも見のがさないとある。この「すべ」(稭「しべ」)がわらの心の意味だと知らなくても、読み進めるのにさわりはないだろうが、同じような例が続出するので、せめて難語に註を附けた版のほうが読みやすいかもしれない。が、大きな辞書を引くのが好きなひとは、原文のままでも充分愉しめることと思う。逆に、かりに、八円のところを「月給二十万円」とでも現代語訳したなら、鏡花のことばのおもしろさは、半減どころか、全滅してしまう。