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2006年度T・S・エリオット賞を受賞したヒーニの第12詩集


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シェイマス・ヒーニー『郊外線と環状線(国文社、2010)



 アイルランドの詩人シェーマス・ヒーニは2006年の本詩集に「春のトールンの男」という詩を含めた。1972年に「トールンの男」を書いたことが想い起こされる。デンマークで発掘された鉄器時代人のミイラについての詩だった。当時、北アイルランド紛争がさかんで、ヒーニは非業の死を記念する象徴を探していた。

 しかし、34年前とは詩人をとりまく状況が変わった。北アイルランド紛争は一応の和平を達成したが、代わって(イスラム過激派による)テロが世界の人びとに脅威を与え始めていた。この詩集で一番有名な「何が起こるかわからない」という詩は9・11を踏まえた詩だし、表題作はロンドン地下鉄テロ(2005)が起きた路線の詩だ。「(同時多発)テロ」など意識せずに済んだ時代はもはや遠い昔であることは、詩人ならずとも現代人なら誰でも分かっている。

 「春のトールンの男」は六篇の14行詩(sonnet)を連ねた詩だ。始めの二つの詩篇で男の視点から「甦り」が描かれる。自分の堀出されるさまをピート(泥炭)の堀出しになぞらえて。

埋められた俺の耳元に やがて鋤の刃が入り込み ズブッズブッと
音を立て それが何度も続いた 鋤をテコに起こされた土が
持ち上げられ ひとたび 俺が大気に触れると
俺はまるで神の息吹を吹き込まれて 出て来た泥炭


 ここで現在と二千年前だけでなく、人類創造の場面まで重ね合わされている。

 男は1950年に発見された「沼沢人」(bog people)の一人で、春の豊穣の女神に捧げられた生贄の若者と思われる。埋められているうちに男と沼沢地(bog)とは区別がつかなくなる。この bog という英語がアイルランド語の bog 「柔らかい」に由来することは、アイルランド人には指摘するまでもないことだ。実際、この種の地面は踏むと柔らかい。

 第三篇の4-14行はこの詩の一つの極点のように思われる。

俺が埋められて また掘り出されるまでの間
生贄の儀式と豊穣の期待までの間 ボッグの髄液が俺をボッグにし
ボッグが俺になってずっしりと重くのしかかっていた時と同じように
柔肌をまとって横たえられているように感じ
さながら生きているような俺の掌 腕 脚 肩
眠りについて待っている者がこれから先も待たなくてはならない
何年もの間 人前での陳列 魂の抜け殻 轟く俺の名声
俺によせられる信仰 穀物が蒔かれる時に
耕運機が掘り起こす石同然になんの信仰もない俺
俺はデンマークの夜空の下で 心地よい風を耳にし
轍の水が月を映していたのを思い出していた


 この詩行を読んだ後では、人は柔らかい地面を踏むときに「もしや(この下に)」の念に襲われ、神話的時空を想起することがあるかもしれない。それは時代や宗教の刻印を超えた、ある種のファンタジー空間にも酷似する。この認識に立って初めて第四篇の冒頭行が生まれた所以が理解できる。

「魂は己の境遇をのり越える」その通り
歴史は 最終判断の決断も最初の権利という宣言も
できない・・・結局 俺は
陳列ケースの泥炭から持久力を手に入れて・・・


ヒーニの詩学で最重要の鍵語の一つである持久力(staying powers)の源がここで示唆されている。歴史を超えた(詩)魂が逆境をのり越える力を与えると、トールンの男も、詩人も、信じているかのようだ。