Tigh Mhíchíl

詩 音楽 アイルランド

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表面上は見えないけれど地下水脈が無数に行き交う詩集。あちこちに光の明滅がある。何の賞もとっていないけれど、近年で最高の収穫のひとつ。


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Seamus Heaney, Electric Light (Faber, 2001)



 アイルランドの詩人シェーマス・ヒーニの2001年の詩集。

 このあとに出る詩集、たとえば、District and Circle (2006) は9/11や7/7の後であることを明瞭に意識している。現代人の意識を変えてしまうそれらの出来事が起こる前の詩集。

 2001年以前にもそれなりの苦味や悲しみはもちろんあった。人災としては比較にならないくらい大規模の世界大戦をふまえた詩作についての真剣な考察も展開されている。その際に、ヒーニがおもむいた源泉の一つは紀元前1世紀のウェルギリウスの牧歌を集めた Eclogae 『詩撰』だった。

 だが、それにとどまらない。古今東西の無数の詩人たちが詩集のあちこちで明滅をくりかえし、読めば読むほどその明滅のネットワークが形成する膨大な地下水脈に圧倒される。わずか81ページの本だけど、散文でかけば三千ページくらい費やさないと書きつくせない世界を内包している。おそるべき詩集だ。

 詩集は大きく二部に分かれる。牧歌を意識した第一部と挽歌を意識した第二部と。

 第一部はウェルギリウスの牧歌第9をふまえた 'Virgil: Eclogue IX' (「ウェルギリウス牧歌第九」)や詩人になじみのアイルランドの土地を詠った 'Bann Valley Eclogue' (「バン渓谷牧歌」)もよいけれど、詩祭に参加したおりの体験を詠った 'Known World' (「既知の世界」)が興味深い。

 マケドニアで開催された1978年のポエトリ・フェスティヴァルにヒーニは赴いた。そこでヒーニはメーヨー県の老人たちの姿が一瞬脳裏をかすめる。が、マケドニアの町のトルコ帽の男たちを見るに及び「既知の世界」を離れる。その際、飲んでいたコーヒーのどろりとした渦に目を留めるのだ。

Then I saw men in fezes, left the known world
On the short and sweetening mud-slide of a coffee.


 この渦巻きがそのあとで三途の川のシロップの渦となり、世界がそこへ収斂するカメラのレンズの渦となる。この詩における緩急のついためくるめく展開に目を奪われる。

 だが、この詩で最も脳裏に焼きつく鮮明なイメジはある絵にこめられたアレゴリだ。フィンランドの画家シンベリの絵だ。



 ヒーニはこの絵を詳細に描写する。そのあとで、誰が悲しみを正しく読み得ようかと詠う。