イチローのインタヴュー集 Ichiro on Ichiro (interviewed by Narumi Komatsu, trans. Philip Gabriel, Sasquatch Books) の書評が こちら に出ている。概ね穏当な批評だが、一点、評者の Doug Esser が訝しんでいるのは、次のところである(太字は私)。
And one wonders what may have been lost in the translation by Philip Gabriel. Ichiro says he wants to "push the envelope" and not "rest on his laurels," but those expressions don't sound Japanese.
つまり、"push the envelope" や not "rest on his laurels" は日本人の発言らしく聞こえないが、翻訳は正確なのだろうかと、疑問を呈している訳だ。
どちらも比喩的な表現である。"rest on one's laurels" 「すでに得た名誉に甘んずる」は英語において定着した成句表現だから、ギリシャ的古典表現「月桂冠」が日本の文脈には合わないと言っても仕方ない気がする。
それよりも、むしろ、問題は、"push the envelope" という表現のほうだろう。評者はこちらに違和感を覚えているのではないか。
アルクで提供している「英辞郎 on the Web」によると、次のように説明されている。
push the envelope
もっと高いレベルを求める、既成概念の枠を超える、限界に挑む、許容範囲すれすれのことをする、許容範囲を超える
- I've been patient with you, but now you're pushing the envelope.
- You may be a teenager, but you're pushing the envelope a little too far.
この前半のような意味なら、別に問題はなく思える。しかし、後半の「許容範囲を超える」のような否定的な意味なら、どうだろうか。米国の外国人に対する寛容にも限度があるということか。ここに挙げられている用例は、いずれもよくないニュアンスのものだ(「ものには限度があるよ」のようなニュアンス)。いい意味で用いられた用例はあるのか。*1
いや、別の可能性もある。この表現そのものがもう少し違う意味で用いられているのかもしれない。現時点では、これ以上のことは不詳だ。
一言だけ感想を述べれば、昨日引用したイチローの言葉「器の中でどれぐらい能力を発揮できるか。それが変わったと思う。」からすると、ニュアンスはかなり違う。それが米国人にとっての許容範囲を超えているかどうかについては、おそらくイチローは意識していない。彼が考えているのは、野球選手としての前進だけである。自らの中にある能力を米大リーグという器の中でどれだけ発揮できるかだけである。こういう微妙なニュアンスを表すとすれば、どういう英語になるのか。
こういう翻訳事例の教訓は、あまりにこなれた英語表現にすると、原語のニュアンスからずれてきて、逆に読者に違和感を覚えさせることがあるということである。その場合には、わざと違和感を醸しだすようなごつごつした表現のほうがいいという主張も当然あり得る。
なお、日本語原著は『イチロー・オン・イチロー―Interview Special Edition』(小松成美著、新潮社、2002)のようで、それだと、インタヴューの最新部分でも2001年オフということになる。
いずれにしても、イチローの偉業は、日米の人に、日本人が米大リーグの84年前の記録を破るということは一体どういうことなのかという深い問いを突きつけることになるだろう。その答えは、最近紹介した Baseball Crank の2001年5月2日の記事 Ichiro the Throwback からすると、百年くらいたたないと、出てこないかもしれない。