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モダニズムと神智学 Modernism & Theosophy


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野上秀雄『歴史の中のエズラ・パウンド

 

 考えてみれば、エズラ・パウンド(米国詩人)は片山広子(日本の歌人、翻訳家)や芥川龍之介と同時代人である。パウンドが1885年生まれ、片山が1878年生まれ、芥川が1892年生まれである。

 それがどうしたと言われそうである。しかし、そのことは、たとえば本書に収められたエッセイ「モダニズムと神智学」を読むうえでは欠くことのできない前提である。急いで附け加えるが、本書の本筋は歴史の進行の中にパウンドの詩人、文人、文化人、文明思想家としての歩みを位置づけようとするものである。

 ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーが神智学協会を設立するのが1875年である。神智学(古代ギリシア以来の用語、ブラヴァツキー以降は神智学協会が扱う神秘主義、秘教的な思想を指すことが多い)は後の世に大きな影響を残すことになる。その後継者のひとりルドルフ・シュタイナー(現在のクロアチア出身、ゲーテ研究家として出発した神秘思想家)が後に人智学を打ち立てる。

 片山が松村みね子の筆名でその作品(『鷹の井戸』)を翻訳していたウィリアム・バトラ・イェーツが一時この協会に入会していたのは有名な話である。ちなみに、片山の代表作のひとつ『燈火節』(新編)の解説を書いている梨木香歩がそもそも渡英したのはシュタイナーの勉強をするためだった(シュタイナー教育の教師養成学校に入ろうとしていたのだが、実際には語学学校に入り、そこでの担当教師ウェスト夫人が児童文学作家だった)。

 イェーツの初期の代表作『ケルトの薄明』を芥川龍之介が訳していることも、これまた有名な話である。

 なにが言いたいかというと、彼らが同時代人であるということは、彼らの間に多くの補助線が引ける可能性があるということである。それらの補助線はふだんはあまり目に見えていないけれど、ひとたび手がかりが得られれば、芋蔓式に切り口が見つかることがあり得る。そのために、本書のような歴史書は大いに参考になる。本書では世紀末から第二次大戦後まで、丁寧に扱われる。

 パウンドについての本なのにイェーツがからむ網の目のことを主に書いたが、実はパウンドとイェーツとは三冬に渡って、あるコテジに籠って集中的に神秘主義に関する勉強をしている。その際、年上のイェーツに手ほどきをしたのはパウンドだったといわれている(1913年から1916年にかけての3回の冬の間、サセックス州の Stone Cottage というところで二人は過ごした)。


 神智学の影響を(大きく)受けたらしい日本の人物のうち、気になる人の名前のみ、挙げておく。

 

歴史の中のエズラ・パウンド

歴史の中のエズラ・パウンド