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ドストエフスキーの短篇「キリストのクリスマス・ツリーのもとの少年」


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ドストエフスキー「キリストのヨルカに召された少年」

 

 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821-1881)が晩年に「作家の日記」誌1876年1月号に発表した短篇。「キリストのヨルカに召されし少年」の題でも知られる。

 ヨルカはクリスマス・ツリーのこと。原題が 'Мальчик у Христа на ёлке' 「キリストのクリスマス・ツリーのもとの少年」。この題名がほぼすべてを言い尽くしている。

 ロシアの大きな町でのこと。クリスマス前夜、寒さのきびしい晩に、地下室に貧しい母子がいる。少年は病気の母親の顔にさわってみる。ぴくりともしない。壁みたいにつめたい。六つにもならない少年には母親が死んだことが分からない。寒さと飢えのあまり、少年は地下室をぬけだし、往来へとびだす。

 あかりもない地下室から出てきた少年には町はまぶしい。そうぞうしい。人間もどっさりいる。食べものをさがして歩きまわる。警官がすれちがうが、「気がつかないふりをして、そっぽを向」かれる。

 大きなガラスの向こうに天井までとどきそうな木が見える。クリスマス・ツリーだ。晴れ着をきた子どもたちが部屋をかけまわっている。

 さきへ進むとまたガラスの向こうにクリスマス・ツリー。入ってくる人ごとに菓子をわたす奥さんたちが見える。少年は思いきってドアをあけて中へはいる。おとなたちは驚いて、いそいで少年の手のひらに一円銅貨(と神西清は訳すが「一コペイカ銅貨」らしい)をおしこみ、追いだしてしまう。少年は手がかじかんで銅貨をにぎることもできない。

 このような少年の一夜を描く。救いがないように思えるが、そうではない。少年の頭の上に「わたしのクリスマス・ツリーのところへ行こうよ、ねえ坊や。」という静かな声がささやくのだ。

 その木は「自分のクリスマス、ツリーのない小さな子どもたちのために、立ててある」木だった。

 ステファン内田圭一師が「ドストエフスキィの作品世界において最も恐ろしい罪はこどもに対する罪である」、「一方で愛すべき登場人物はこども達の良き友人として書かれています」と書く。これを知って初めてドストエフスキィが「正教の作家である」との指摘が得心がゆく。

 聖書にある「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(聖マタイによる福音書18章)を作家がこの上なく尊重していることが分かる。

 そのような観点に立てば、キリストのいないクリスマスに一体どういう意味があるのかとの作家の強い信念が伝わってくる。みじかい作品だけれども、味読に値する。

 

キリストのヨルカに召された少年

キリストのヨルカに召された少年