Tigh Mhíchíl

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<ミ>から<ヒ>への転換期を考える


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菅田正昭『言霊(ことたま)の宇宙(あま)へ』(橘出版、1994)


 感性豊かな言霊論。内容の焦点がシャープで、文章もじつによい。数々の示唆に富む。


 第3部の第3章は書き下ろし。そのなかで「<ミ>から<ヒ>への転換」は要注目である(287-290ページ)。


 いま、水の時代から火の時代へ突入していること、水に身の義あり、火に霊(ヒ)の義ありと、指摘される。

タテワケの厳しい<火>の時代こそ<水>のやさしさが求められる、という点である。たしかに、<火>はすべてを焼き尽くして浄化してくれるが、一歩間違えれば、それは地獄の火にもなりかねない。肉体をもっているわたしたちは<火>の中では生きることができないからである。(288ページ)


 つぎの箇所は難しいが、重要な内容を含む。

じつは、トホカミヱ<ミ>タメは顕に属し、それにたいして、トホカミヱ<ヒ>タメは幽に属しているのである。鎮魂帰神法を再興した本田親徳(1822-89)は『難古事記』の中で「形象法は顕に属し、音声法は幽に属す」と指摘しているが、トホカミヱ<ミ>タメとトホカミヱ<ヒ>タメとの関係がまさにそれにあてはまるのである。すなわち、亀卜のなかにあらわれたマ・チ・ガタである前者は、目で見ることができる世界に属する形象なのである。いっぽう、後者は目をつぶった世界の中できこえてくるコトタマ(あるいはオトタマ)なのである。(289ページ)


 この顕は幽を写すものである。

もちろん、顕界(うつしよ)は幽界(かくりよ)が写っている世界だから、幽のほうが本(もと)の世界ということになる。だが、顕に属する形象も極まれば、幽界を描き出す。……トホカミヱ<ミ>タメもその極まったところでは宇宙創造の形象を示すのである。それにたいして、音声法の場合、それが極まると、消失してしまうのである。(289ページ)


幽から顕だけだと、プラトンイデア論を想起させるが、この言霊論では顕から幽への、逆のベクトルも存する。おもしろい。

 以上の点は、エリオットの『荒地』 The Waste Land の水と火との関連に照らして考えても興味深い。あるいは水の洗礼と火の洗礼との関連に照らしても。

 2011年3月11日に日本の東北を襲った事態は菅田正昭の言霊論が告げる時代の転換に符合するのであろうか。だとすれば(あるいは、だとしても)、「日本(やまと)の國は事靈の佑(さき)はふ國」(万葉集)となり、日本に幸せが訪れることを祈念せずにはいられない。


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