詩的な神学的探偵小説
G・K・チェスタトン『詩人と狂人たち (ガブリエル・ゲイルの生涯の逸話)』【新訳版】 (創元推理文庫、2016)
控えめに言っても他に類を見ない作品だ。詩人にして画家の主人公が狂人たちが引起こす事件を解決するか未然に防止する話が8篇収められている。
なぜ主人公が狂人たちの行動がわかるかというと、主人公自身が狂気と闘っているからだ。狂気とは何か。正気とは何か。理性とはなにか。神とはなにか。これらの形而上的な問題について神学的あるいは哲学的思索が展開され、画家の芸術的想像力がはばたき、詩人の言葉で表現される。その発言の深遠さのゆえに、何度でも読みかえしたくなる。
だが一般にはミステリに分類される。そしてミステリとしても高い評価がされる。日本においても同様だ。英語圏では神学的探偵小説などとも呼ばれる。
2012年に週刊文春が主催した「東西ミステリーベスト100」のことを解説者の鳥飼否宇(『死と砂時計』が2016年の本格ミステリ大賞を受賞した作家)がふれている。そのランキングで本作が86位に輝く。投票者387人中たった6人しか投票していないにもかかわらず(鳥飼氏はもちろん投票した)。
ランキングの投票詳細をみると、本作を1位に推したひとが2人、2位に推したひとが2人いる。それで得点が高いのだ。つまり、鳥飼氏がいう通り「好きな人にとってはカルト的な人気を誇る作品」といえる。
どこにその秘密があるのか。神学・哲学と芸術と詩とが狂気と正気をめぐって見事にからむところに魅力の大きな要因がある。
多くの論者が本作の思想面と芸術面を分析しているが詩的分析が殆どない。だが、本作の文体の魅力の大部分はおそらくその詩的なところなのだ。
かつて江戸川乱歩が「深夜、純粋な気持ちになって、探偵小説史上最も優れた作家は誰かと考えて見ると、私にはポーとチェスタートンの姿が浮かんでくる」と書いた(『海外探偵小説作家と作品』早川書房、1957)。ポーもチェスタトンも詩人だ。
ここでは主人公の名前と主人公を描写する文章を一つだけ取上げる。
名前が Gabriel Gale という。この名前がすでに詩的だ。/g/ の頭韻をなし、さらに、/ei/ の母音韻もなす。母音韻をきちんと表現するために「ゲイブリエル・ゲイル」と書かねばならない。
この詩人のものの考え方を叙述する文章は次のようだ(第2話「黄色い鳥」)。
Hence it was that he would sometimes follow one train of thought for hours, as steadily as a bird winging its way homewards. But it might start anywhere; and hence, in his actual movements, he looked more like a floating tuft of thistledown caught upon any thorn.
彼が思索(thought)を追い続けるようすが巣へと飛ぶ(winging its way の /w/ の頭韻)鳥に喩えられる。さらにその浮遊と着陸のしかたがイバラにとまったアザミの冠毛(a floating tuft of thistledown caught upon any thorn の /th/ の頭韻)になぞらえられる。この/th/ の頭韻は前文の中心テーマ思索(thought)の残響を有し、詩人の思索の飛ぶが如き性格をよく表す。
翻訳について。「フィニアス・ゲイル」は「フィニアス・ソールト」が正しい(238頁)。読んでいるひとは誰でも気づくけれど。
詩人と狂人たち (ガブリエル・ゲイルの生涯の逸話)【新訳版】 (創元推理文庫)
- 作者: G・K・チェスタトン,南條竹則
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2016/11/19
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「モナ・リザ」の鑑定に必要なものは
「モナ・リザ」の鑑定をめぐるミステリ。
主人公の鑑定士、凜田莉子にルーヴル美術館から「モナ・リザ」の真贋を鑑定する学芸員の登用試験を受けるよう誘いがある。日本での「モナ・リザ」展において万全を期すためのスタッフだ。万が一、「モナ・リザ」がすり替えられた際に真贋を鑑定するためだ。コンピュータ上では見分けがつかない精巧な贋作と本物の違いを見分ける直感を備えた人が求められる。
これには前日譚がある。シリーズ第5作『万能鑑定士の事件簿 V』において、莉子はルーヴルで「モナ・リザ」を見ている。そのとき、「これって……本物かなぁ?」とつぶやいているのだ。
このエピソードが本作の下敷きになっている。
莉子は正式のスタッフとなるための集中講義を日本で受け、無事終了する。
ところが、日常業務に戻った莉子に異変が起きる。今までの鑑定眼がすっかり失われているのだ。これはどうしたことか。すっかり自信を失った莉子はルーヴルのスタッフを辞退し、鑑定業も廃業して、故郷の波照間島に帰る。
莉子に起きるこの謎の異変が、本作の「モナ・リザ」鑑定と深く関係する。莉子の様子が気になった記者の小笠原は波照間島に向かう。
シリーズ中でも屈指の面白さ。
万能鑑定士Qの事件簿 IX 「万能鑑定士Q」シリーズ (角川文庫)
- 作者: 松岡圭祐
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
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「詩人ボブ・ディラン」特集号
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2016年 10/25 号 [ボブ・ディランの真価]
「詩人ボブ・ディラン」特集号(2016年10月18日発売)。ディランのノーベル文学賞受賞が発表されたのが2016年10月13日。1週間足らずでまとめたにしては充実した内容だ。買う価値はある。
特集が始まる前のU.S.Affairs/PERISCOPEのページに、特集とは反対の方向の文章がある(16頁)。ニューズウィーク独自の記事といえるのはワイスの記事と2004年のインタビュー再録を除けばこれだけなので、かえって興味深い。
スティーブン・メトカフ(批評家)「ボブ・ディランの歌詞はノーベル賞に値せず」('He shouldn't have gotten the Nobel')
ディランの世界に対する貢献の例としてメトカフが挙げるのは次の例だ。
〈ジョン・レノンはディランに会うまで、ポップ音楽で「ラブ・ミー・ドゥ」以上のことは表現できないと考えていた。当時、レノンの頭の中は階級への怒りや壮大なアイデアで煮えたぎっていた。彼は自分の中で起きているカオスを芸術に昇華させるため、ディランにあう必要があったのだ。〉
レノンとディランの関係は確かに重要だ。しかし、メトカフの次の指摘はどうだろう。
〈文学とは静かに自分に向けて読むものだ。静寂と孤独は読書と不可分の関係にある。読書こそ文学に向かう唯一の道である。
文学が静かで孤独な活動である、という考え方が生まれたのは、ルネサンス期に活版印刷術が発明された後のこと。静かな読書は人と人が交錯する場面をつくり出す。そのページに書かれた誰かの声が、私の声となって私の頭の中で鳴り響く。〉
文学をこう捉えるかぎり、ディランに文学賞を与えることは認められないという結論になるだろう。それとは正に反対の理由をノーベル文学賞委員会が挙げている。ホメーロスやサッフォー以来の歌われる詩こそが文学の原点であり本流であるという観点に立てば、結論はまるで逆になる。
おそらく、メトカフにとって、文学とは近現代に新たに出現した小説というジャンルを指すのだ。だから、こういう。
〈ディランが後代に向けて訴えてきたことは、村上春樹やフィリップ・ロスの物語より壮大かもしれない。それでも、ポップ・ミュージシャンに文学の最高賞を与えることは話が別だ。文学という言葉の定義にも反している。〉
文学とはもともと歌われる詩であるという観点に立てば、メトカフのこの文学観は間違っている。それはメトカフもおそらく自覚している(「たぶん、私の考えは間違っているのだろう」)。
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2016年 10/25 号 [ボブ・ディランの真価]
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海水淡水化の画期的テクノロジーの謎
松岡圭祐『万能鑑定士Qの事件簿VIII』(角川書店、2011)
舞台は台湾。
万能鑑定士の凜田莉子は故郷の波照間島の水問題に長年こころを砕いている。
そんなところへ突然「同島の生活用水供給につきまして問題解決のめどが立ちました故、ご報告させていただきます。なお、このお手紙をもちまして、渇水対策募金につきましては終了をご案内させていただきたく存じます。」との手紙が届く。いったいどういうことか。莉子は個人でこれまで50万円ほど対策募金に寄付してきた。それでも、募金総額は海水淡水化プラント建設に必要な額の0.1%未満との発表があったばかりだ。
いそぎ波照間島に戻ってみると、同島出身の嘉陽果煌議員が渇水対策の画期的なテクノロジーに出会って、その採択を提案したという。その実証映像を煌が莉子に見せてくれる。台湾の漁村で海上に船をだし、巨大なロートに仕込んだフィルターで塩分を除去し、真水になる一部始終を収めた記録だ。
議会ではすでに採択が決議され、町の年間予算の3分の1にあたる12億円でその新技術を買うという。
あやしいと直感した莉子は台湾に向かい、その発明者に会おうとする。故郷の旧友たち二人も同行する。そこからは波乱万丈の冒険と謎解きが連続し、スリリングな展開だ。
はたして海水の淡水化のトリックは何なのか。あっと驚く解決が待っている。
万能鑑定士Qの事件簿 VIII 「万能鑑定士Q」シリーズ (角川文庫)
- 作者: 松岡圭祐
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霞が関の常識は、世間の非常識——めずらしい気象ミステリ
研究不正をテーマにしてきた「水鏡推理」シリーズの第4作。本書では研究にからむ民間予報の問題をあつかう。従来、気象庁が行ってきた予報業務が近年、民間で実施可能となっている。民間予報業者、正式には予報業務許可事業者による予報。その予報のメカニズムに不正がないか。
不正研究費の着服がテーマになる点ではこれまでの作品と同じだが、その構造的特質は文科省内にも存在する。財務省に媚びて予算をなるべく多く工面してもらうためには、あらゆる知恵を使う。
その意味では、隠されたテーマは〈霞が関の常識は、世間の非常識〉だ。世間の目から見て非常識と思われることでも予算獲得のためなら官僚は実行する。
タイトルの「アノマリー」は法則や理論と比較し説明不可能な事象のこと。「科学的な常識や原則から逸脱し、偏差を起こす場合もそう呼ぶ。」主人公の文科省の不正研究タスクフォースの水鏡瑞希は「天気の特異日は、科学的に実証されていなくてもたしかにそうなる、アノマリーの一種なんです」という。
具体的には一年のうちどの日がそれに当たるか。瑞希はいう。「特異日。英語圏ではシンギュラリティと呼びます。前後の日と比べ、偶然ではありえない高確率で、特定の気象状態が発生する日。一年を通じ何日かあります。首都圏を中心とした日本列島では、一月十六日、三月十四日、六月一日などが晴れ、三月三十日、六月二十八日、九月十二日などが雨です」と。
本ミステリではこの特異日が重要な役割をはたす。その日を用いたトリックとは何か。
民間予報業者の晴れの予報をもとに八甲田山に登った四人の「非行」少女たちが悪天に遭遇し集団で遭難する。気象庁は荒れ模様と予報していた。
この遭難事件と不正研究とはどうかかわるのか。少女たちの捜索救出が生存限界とされる72時間の壁をめぐり切迫するなか、「非常識」な霞が関の暗部が炙り出される。
地磁気逆転と謎の人面塚
松岡圭祐『水鏡推理3 パレイドリア・フェイス』(講談社文庫、2016)
研究不正をあつかう「水鏡推理」シリーズの第3作(2016)。
おもしろさは前作を上回る。最終部の盛り上がりはスリリングだ。
これまでよりも年代の新しい地磁気逆転を発見したとする科学的報告に対し文部科学省から調査が入る。ほぼ同時に、近隣の山で突然謎の人面塚が発生する。
これらをめぐって利害が関係する各人の思惑が交錯する。人面塚が発生した山の地主はそれを利用して一儲けし、過疎の村の観光資源にしようとする。山を管理する森林組合は担当者不足に頭を悩ます。文部科学省から派遣された主人公の水鏡瑞希ら研究不正に関するタスクフォースは真実を明らかにしようとする。文部科学省の幹部たちは環境省と何やら相談し、地磁気逆転の発見をしたとする科学者グループの研究を、不正と決めつけようとするかに見える。
本のタイトルの「パレイドリア」(pareidolia)とは狭義にはシミュラクラともいい、雲や壁のしみが、目と鼻と口を連想させる配列というだけで、顔面と感じる心の作用のこと。
山中の地震の際に隆起した地面が、上空から見ると二つの穴が目に、もう一つの穴が口に見えるというので大騒ぎになる。
本書を読んでひとつ気になることがある。水鏡らはあくまで真実を明らかにしようと誠実にものを考えるのだが、文部科学省の上層部からの圧力は研究不正を正すというより、研究不正をむしろ作り出そうとする動きにも見える不可解なものだ。そこにはどうやら、除染廃棄物の中間貯蔵施設の建設がからんでいる。それに限らず、全国でさまざまな施設の建設問題が取り沙汰される。新たな震災による災害廃棄物や、ごみの最終処分場や焼却施設など。
その候補地となったところがそれを回避するにはどうするか。科学的に重要な調査が始まることなども大きな要素になる。そこに不正があるかどうかは、文部科学省と環境省にとっては重大な関心事になる。
となると、最終的には国策レベルの思惑が働いていることになる。一国の科学研究の誠実さとは別のレベルの力学が働くことは、あってほしくないけれども、現実にはあり得るかもしれないと思わせられる。ことに国の原子力政策がからめば。この小説はそのあたりのグレーゾーンに少し踏み込んでいる。
[紙の本]
[キンドル版]
「水鏡推理」シリーズの第2作は「文献引用影響率」をめぐる不正
松岡圭祐『水鏡推理2 インパクトファクター』(講談社文庫、2016)
瑞希は二十五歳。文部科学省の「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」の一般職の事務官。
瑞希の小学校のときの同級生が書いた、人工血管の発明に関する論文が、英国の有力誌に掲載されたことが大きく報道される。
この雑誌に掲載されることはインパクトファクターが高い。「文献引用影響率」のことで、ある科学誌に掲載された論文が引用された頻度をしめす数値。「ネイチャー」や「サイエンス」は30以上。この数値が高い雑誌に論文が掲載された研究者は出世の道が開かれる。
この人工血管は切断されても、傷口が自発的に吻合され再生する、自然治癒能力を有する点で画期的な発明。その新技術の発案者が二十五歳の大学院生、如月智美。瑞希の同級生だ。
瑞希はなぜかこの報道が気になり、調べだす。常識にとらわれて真相が見えない周りの思い込みに惑わされず、瑞希は独自の観点でこの掲載論文の問題点を炙り出す。
そのうちに論文の内容にミスや捏造が見られるとの声が上がりだす。共同著者の一人に過ぎない智美がその不正の元凶とみなされる流れができてゆく。どこかおかしいと瑞希は思う。
〈真実はあきらかにするものだ、決めつけるものではない〉
と確信している瑞希は、真実をあきらかにすべくあちこちを調べだす。
全体の7割くらいまでは、展開が早く、息もつかせぬおもしろさだ。
ところが、そこから最終の解決に至るまでは、やや説明が多く、プロットの回収に腐心しすぎて、物語の自然な展開のおもしろさが減る。
それでも、現代における科学研究のあり方についての貴重な示唆を多く含み、その方面に関心がある人や、また松岡圭佑の「人の死なないミステリ」ファンにも、おもしろく読めるだろう。