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『国家の品格』 Fujiwara, 'Dignity of a Nation'


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 かつてのベストセラー書。アイルランドについての記述(164頁)があるから買ったのだが、望外に得るところ多し。論理の権化に思える数学を扱う数学者が、まず、論理の欠陥を説く。

目次

論理と出発点

 論理的に完全でも誤謬を導くことがあるのは何故か。出発点が誤っているから。出発点は論理では選べない。

 インタビューで著者はこう語る。「論理には常に出発点が必要です。そして、その出発点は常に仮定である。だから、論理は論理だけで自己完結していないんです。みんなそのことを忘れています。」

正しい出発点を選ぶには━━情緒と形

 では、正しい出発点を選ぶために必要なものは何か。

 そのために、著者が提案するのは、日本人に備わる情緒や形。これらを柔構造として、論理や合理の硬構造と併せよ、さすれば総合判断力は十全となると。その情緒や形は、自然や伝統に由来する。

 情緒とは、美しい自然を感得する繊細な感受性、移ろいゆくものに美を見出す「もののあわれ」の感性、弱者へ共感する惻隠の情、四季を彩る虫の音や桜や紅葉を愛でる繊細な美的情緒など。

 とは、人間の座標軸たる精神の形。鎌倉武士の戦いの掟に発する武士道精神。卑怯を蔑みフェアプレーを重んじ、富でなく清貧に甘んじる。弱いものいじめは恥ずべきこと。

 そこからすると、現今の新自由主義的風潮下で構造的に放置されざるを得ない、リスクの弱者への押付けなどはもってのほか。

 美しい情緒や形は、日本に限られず、普遍的価値を有する。数学の天才を生む美しい風土の具体例を見てゆくと、日本だけでなく、アイルランドやインドも出てくる。日本の例は、鎖国期に行列式を世界で初めて発見した関孝和や、大正期の高木貞治アイルランドの例は、19世紀、ダブリンに生まれ、四元数(a + bi + cj + dk)を発見したウィリアム・ローアン・ハミルトン。インドの例は、チョーラ王朝の遺産である美しい寺院に幼少時から通い、高等教育を受けなかったにもかかわらずケンブリッジ大学に招聘され、毎朝半ダースの新しい定理を提出したシュリーニヴァーサ・ラマヌジャン

グローバリズムは歴史的誤り

 著者の歴史観によれば、20世紀末以来跋扈するグローバリズムは歴史的誤りである(135頁)。その中心的イデオロギーである市場経済も誤り。貧富の格差を拡大し、社会を少数の勝ち組と大多数の負け組に分ける仕組の弊害は目に余る。大人の拝金主義に感染する子供は汗水たらす農夫を馬鹿にし、読書せず、国語より英語を選ぶ。かくて、国語を礎とする祖国は失われる。社会、文化、教育の荒廃は進み、世界はアメリカ基準に画一化される。

21世紀はローカリズムの時代


 著者は21世紀はローカリズムの時代と主張する。グローバリズムがもたらす効率性や能率に幻惑されて画一化が進むことは断固いけない。それは理屈ではない。「たかが経済」の効率のためにグローバリズムを採るのは誤りである。世界中を同じ文化や伝統に染めることは絶対によくない。英国の fRoots 誌が標榜する 'Local Music from Out There' が正しいことは、偉大なるローカル・ミュージックであるアイルランド音楽を聴く者には自明の理。

グローバリズムの論理の出発点の誤り

 グローバリズムが誤りであるのは、その論理の出発点が誤っているから。すなわち、自由主義功利主義、近代資本主義の祖たる英国17世紀のジョン・ロックの『統治二論』Two Treatises of Government: In the Former, the False Principles and Foundation of Sir Robert Filmer, and His Followers, Are Detected and Overthrown. The Latter Is an Essay Concerning the True Original, Extent, and End of Civil Government; 1680-1690 )。さらに、ロックの背景に、プロテスタンティズム、中でもカルヴァン主義。ジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』Christianae Religionis Institutio, 1536; 英訳)。

 ロックが「個人は自由に快楽を追求してよい、全能の神が社会に調和をもたらしてくれるから」と述べる背景に、カルヴァンの預定(予定)説「救済されるかどうかは、神の意志によりあらかじめ決められている」がある。そのことについて、本書の著者は「どんなに極悪非道の者でも、救済されることになっている者は救済される、というのは私たちの理解を絶します。」と述べる。

 カルヴァンの予定説が生み出す救いの不安から逃れ、確信を得るために、「神から義務として与えられている職業(天職)に励む」。つまり、「利益のチャンスがあったら、それは神が意図し給うたものだから、積極的にそのチャンスを生かさなければいけないのです。金儲けに倫理的栄光が与えられたのです。」(71頁)かくして、「それまで不浄だった金銭は、コペルニクス的転回によって、『神聖なもの』となりました。〔中略〕こうして、市場経済を闊歩する、自己確信に満ちた、金銭至上主義者たちが誕生したのです。」(71-72頁)

 スコットランドアダム・スミスに始まる経済学は「個人は利己的に利潤を追求すると、神の見えざる手に導かれて社会の繁栄が達成される」とするが、これはロックの経済版である。つまり、「自由競争こそがすばらしい、国家が規制したりせず自由に放任する、すなわち市場にまかせるのが一番よい」となる(181-182頁)。「アダム・スミス国富論The Wealth of Nations, 1776)で示唆し、続く古典派経済学者たちが完成させた理論」(182頁)。

ケインズの批判

 この流れの経済学は、その後、英国のケインズが1930年代に批判する。ところが、1970年代から、オーストリアハイエク(Nobel 経済学賞、1974)や、米国のフリードマン(Nobel 経済学賞、1976)がケインズを批判し、古典派経済学の流れに戻し、経済の不調は不完全な自由競争のせいだとした。これが新古典派経済学と呼ばれる。市場経済を主導するこの経済学者たちはノーベル経済学賞を受けている。ケインズは受けていない。

 著者は、本書の最終部分で、次のように述べる。「恐らく教会の過剰な権威を否定するために生み出されたカルヴァンの予定説と、王権神授説に対抗し個人の権利を確保するためにカルヴァン主義を利用したロックの自由、平等、国民主権などが、現代のすべてです。アメリカを旗手として世界を席巻しつつあるこれらは、一言で言うと、『キリスト教原理主義』です。〔中略〕世界はこの教義、およびそこから出発した論理に取り憑かれています。教義を信じているからこそ、アメリカはそれを自信満々で押しつけてきます。アメリカが信ずるのは一向に構いません。ただ、こうした思想と論理の浸透した文明国が、みな荒廃に陥っていることは注目すべき事実です。」(184頁)

自由と平等より情緒や形を

 このように、著者は現下の市場経済的論理の出発点としてのカルヴァン主義を明らかにしたうえで、現代を荒廃させている自由と平等より、日本の情緒や形のほうが上位に来ることを力強く主張する。

 著者が国家の品格を説くのは、それが金銭至上主義を打破すると信じるからであるが、キリスト教カルヴァンのような思想が現れた淵源には踏み込んでいない。そこへ踏み込めば、カルヴァンの16世紀から、さらに古代へと出発点探しは向かうはず。恐らく紀元前数百年、いや数千年は遡るだろう。マモン(富の邪神)に仕える者たちは、いつ、どこで、なぜ発生したのか。きわめて現代的な問題であるからこそ、その出発点は探る必要がある。

 日本的美意識は宣長の歌によく表れる。「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」