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アングロ・ノルマン期のアイルランドの貴重な記録


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ギラルドゥス・カンブレンシス『アイルランド地誌』(叢書・西洋中世綺譚集成)(青土社、1996)

Giraldus Kambrensis: Topographia Hibernica



 原書は1188年に完成した。

 著者の名はカンブリア(=ウェールズ)のギラルドゥスの意。父はノルマン人騎士である。

 1183年に初めてアイルランドを訪問し、また1185-86年にイングランド王子ジョンに随行して(おそらく宮廷付聖職者として)アイルランドに滞在した。その体験をもとに、アングロ・ノルマン侵攻期のアイルランドの地誌、自然、人々の生活等について貴重な記録を残したのが本書である。

 ただし、第2部の驚異譚に典型的なように、どこまでが伝承や伝聞でどこまでが本人の体験かは判別しがたいところがある。

 著者自身が価値があると考えている音楽論(第3部第11-15章)は興味深いけれども、記述は楽器(ハープとティンパヌム)演奏のことのみである。 

 訳文は読みやすいとは必ずしも言えないが、短い章に分かれているので読み進めるのは楽である。が、本当にこの書に関心があれば、英訳のほうがはるかに読みやすいと思う。

 そのことを痛感するのはハープ音楽について論じた第3部第11章「楽器を奏でる技術においてはこの民に匹敵するものがないこと」の次の箇所である。章の題名はたいていこのように長い。

旋律ははじめから終りまでひじょうに精緻である。厚めの和音が弱い音で響く中で、高い響きの音がじつに奔放に戯れ、たいへん密やかに人を喜ばせ、心を和らげじつに陽気にするのであり、技芸がほとんど自分自身を隠してしまうように思われるほどだ。「もし隠れているならその技芸は有効だろう。そして発見されてしまうと恥じた様子を見せる」というように。

 この箇所がだいじであるのは判ったので何度も繰返し読んだが、結論は訳者はおそらくアイルランド音楽におけるハープ(の技術面)について殆ど何も知らぬのだろうということだ。それが確信に変わったのは、つぎの英訳を読んだときである。これなら、技術的に完璧によく判る。

They introduce and leave rhythmic motifs so subtly, they play the tinkling sounds on the thinner strings above the sustained sound of the thicker string so freely, they take such secret delight and caress [the strings] so sensuously, that the greatest part of their art seems to lie in veiling it, as if "That which is concealed is bettered -- art revealed is art shamed."


 ともあれ、本書で驚愕させられるのは、すでに12世紀の時点で英国側ではアイルランドの技芸の高さが恐ろしいほどであることを知っていたことだ。それがのちのエリザベス女王による有名な布告「ハープ奏者は見つけしだい絞首刑に処しその楽器は破壊すべし」 "hang the harpers wherever found, and destroy their instruments" (1603) につながったのかもしれない。

 訳文に難はあるものの、内容はすこぶるおもしろいので、12世紀頃のアイルランドの地誌に関心ある人にはおすすめできる。


 なお、本書は絶版で、古書で入手できるようだ。上に書いた理由で英訳のほうがよい場合は簡単に入手できる(右の書)。

Gerald of Wales, John O'Meara (trans.): The History and Topography of Ireland (Penguin Classics, 1983)

 英訳者の John O'Meara は1915年、アイルランドはゴールウェー県生まれ。翻訳当時(最初に訳したのは1951年、右の書は1982年の改訂版)、UCD (University College, Dublin) の Professor of Latin であった。

 この英訳者による序文には、本書の受容史の一端が書かれており、Geoffrey Keating の皮肉をこめた評言も引用されている。キーティングいわく、'Every one of the new Galls who writes on Ireland writes . . . in imitation of Cambrensis . . . because it is Cambrensis who is as the bull of the herd for them for writing the false history of Ireland, wherefore they had no choice of guide' と。ここで Gall というのは、アイルランド語アングロ・ノルマン人などの外国人を指すが、ここでは主としてイギリス人のことと考えられるだろう。ともかく、よくも悪しくも、その後の英側からのアイルランド史の雛形をギラルドゥスが作ったということである。そして、それはキーティングから見れば 'false history' ということになる。