知を超えて Beyond Intelligence
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Daniel Keyes, Flowers for Algernon (Gollancz; Gateway, 2012) [Kindle版]
SF 文学史上および障碍文学(disability literature)史上の金字塔にして問題作。
金字塔とはSFの二大文学賞をとったこと。本作の短篇版(1959)が1960年の Hugo 賞を、加筆増補した長篇小説版(1966)が1966年の Nebula 賞を獲得した。
問題作とは米国の主として学校図書館から猥褻図書として排除されてきたこと。
本書の短篇(あるいは中篇と呼ぶべきか)版と長篇版でいろいろ違いがあるが、核心部分は元となった一段落ほどの着想だ。当時、この物語の種が 'Brainstorm' と呼ばれ、次のようなものだった。
The first guy in the test to raise the I.Q. from a low normal 90 to genius level ... He goes through the experience and then is thrown back to what was.
つまり、低IQから天才レベルにまで実験で上げられた男がやがて元に戻るという内容だ。これがのちに、知能改造の人体実験の発端から結末までを、被験者 Charlie Gordon の手記たる進行状況報告(progress report)で綴った小説へと発展する。短篇も長篇も、同じ実験の被験者の先輩たるハツカネズミの Algernon の墓前に花を供えてくれとの言葉で閉じられる。短篇のほうがその簡素な構成により、抒情あふれるピュアな読後感を残すとすれば、長篇は多くのエピソードと最後のほうの宇宙との合一感に至る意識の高まりとから、ピースフルな印象を残す。
長篇が、知的障碍者が知能を得て以降の性生活を書き加えたことで猥褻図書に指定された州(米国の州)があるのは理解に苦しむ。最後まで読めば、これが有害どころか、人間の知と情とに関わる稀有な洞察を与える書であることが分かりそうなものだ。
文体は、マイク・アシュリー『SF雑誌の歴史 黄金期そして革命』にある通り、Mark Clifton の技巧が影響を与えたにせよ、全篇を通して Charlie の一人称の語りにしたことは特別な効果を生んだ。20世紀モダニズム小説の技巧として「意識の流れ」(stream of conscionusness)という手法がジョイスやウルフやフォークナに見られるが、あちらがところどころに出てくるだけなのに対し、こちらはほぼ全篇にわたってそれだ。
作品を通して読む読者が、主人公の知能の上昇と下降という変化にもかかわらず、また賢くなった主人公が古い自分を別の人格として認識し、賢さを失った主人公が賢かった自分を別人格として認識するにもかかわらず、作品全体に同じ意識の流れを感じることは驚くべきことだ。
主人公の知能のレベルの変化が、手記のみで語られること、つまり英語の文章そのもので示されることも驚嘆すべき技巧だ。注意深く読むと、知能レベルが落ちてからも文章そのものは非常によく主人公の心情を表している。その主人公の意識の中から世界を見れば、外から主人公を見る視線が時としていかに歪み偏っているかが手にとるように分かる。人間を内側から知るために、大変参考になり、また文学としても感動を与える優れた作品だ。
評者が読んだ Gollancz 版は Justina Robson による素晴らしい序文が附いている。(英 Gollancz 社は創業者 Victor Gollancz の1969年の死後、他社に買収され、現在は Orion Publishing Group 傘下にあり、電子版では SF Gateway の名称でライブラリを構築中。)