迷宮のような暗号のような小説の愉悦
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トマス・ピンチョン、志村正雄訳『競売ナンバー49の叫び』(サンリオ文庫、1985)
ふりかえってみると、1966年にこのピンチョンの長篇第二作が発表されたことは、アメリカ文学史上のひとつの奇蹟といえるかもしれない。
それは、この小説が出たということそれ自体もそうなのだが、その時点ですでに現代アメリカ文学の最も重要な作家だと認められていたこともそうだ。
もし、日本語で読むなら、レメディオス・バロの画(「大地のマントを織りつむぐ」)が表紙の、この(今はなき)サンリオ文庫版にとどめをさす。もちろん、この志村正雄の名訳はちくま文庫版でも読める。
この小説が稀代の傑作であることは疑いない。けれど、なぜ傑作なのかと問われると、説明するのが難しい。バロの画にあるとおり、塔に幽閉された女性たちが織りつむぐタペストリが物語の、あるいは世界の隠喩であることは濃厚に感じられるものの、ではそれは一体いかなる物語なのか、いかなる世界なのか、が言葉で説明するのが難しい。
あるアメリカのテレビ・ドラマで、ある日、突然出現した目に見えないドームが小さな町を覆う話がある('Under the Dome')。その見えざる壁があまりに完璧にできているところから、「これは政府の仕業ではあり得ない」と住民が語るシーンがある。ブラックジョークだ。アメリカ政府と陰謀とはアメリカで好まれるテーマであるとはいえ、この小説のように、その広がりが歴史の時空に果てしなく浸透するように思える小説もまたとない。