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Sean O Riada with Sean O Se: O Riada sa Gaiety


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 クリスティ・ムアはこのアルバム Seán Ó Riada with Seán Ó Sé and Ceoltóirí Cualann: 《Ó Riada sa Gaiety》 (Gael Linn CEFCD 027) について、こう語ったという。

Without this album there would have been no Planxty.

このアルバムがなければプランクスティは存在しなかったろう。

 この発言は、8月11日に発表された Geoff Wallis の 本アルバム評 に出てくる。

 ウォリスによれば、ショーン・オ・リアダ率いるキョルトーリー・クァランの公演はめったになかったが、聴衆の耳はこのコンサートが行われた1969年3月の時点で既にこういうアンサンブル形式のアイルランド伝統音楽に慣れていたという。それは、すでに彼らが四枚のアルバムを出しており、ラジオでも放送されていたこと、および、チーフテンズが二枚アルバムを出していたことによる。

 ウォリスの評はこのアルバムを詳細に論じ、結論として、オ・リアダ(やパディ・モローニ)の方法論は音楽的には殆どその後のアイルランド伝統音楽の発展に影響を与えていないとしている。影響はむしろ精神的なもので、伝統音楽の本質的価値への意識を覚醒させたことにあるという。

 つまり、オ・リアダが唱えたような、旋律の骨格の(ソロ)提示に始まり、だんだん楽器を増やして対位法を含む様々な編曲の可能性を示すアンサンブルというのは、その後の主流にはならなかった。むしろ、主流になったのはユニゾン演奏であり、そうなったのはパブ・セッションの影響だという。
 だから、クリスティ・ムアの上の発言は額面どおり受取るべきものでなく、むしろ皮肉であるとウォリスは見ている。

 結局、オ・リアダがアイルランド伝統音楽に変革をもたらしたと言うとき、それは精神面の変革を指すのであって、音楽的なそれは殆どないということである。

 ウォリスはそのように結論づけるが、ぼくはやや違う見方をしてみたい。確かに、本アルバムだけを聴く限り、音楽編曲法における影響は限りなくゼロに近いだろう。しかし、オ・リアダたちが残した無数のラジオ録音を聴いてみると、様相は少し変わる。彼らの実験精神は多岐にわたっていることが明らかであり、そのうちのいくつかは若い音楽家にスパークを引起した可能性があるのではないかと感じる。プランクスティやボシーのイディオムや感覚がケーリー・バンドのそれから直系で来ているとはとても思えない。
 おそらく、アンサンブルの自由度という概念そのものが若者をケーリー・バンドの固定編成から解放ち、パイプスを始めとするさまざまな楽器の実験的な組合せへと向かわせていったのだろう。その意味ではクリスティの言葉にはある程度の真実が含まれると思う。

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