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平成という元号の知られざる成立史

青山繁晴『平成紀』(幻冬舎、2016)

 

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青山繁晴『平成紀』

 

読み終わった後もその本の世界がしっかりと残る書物がある。

この本はそういう書物だ。

小説だけれど、小説ではない。平成という元号がどうやって決まったかをかぎりなく真相に近くまで描く点ではノンフィクションだ。

もちろん、主人公を含む登場人物の名前は多くがフィクションだ。しかし、肝腎なところは本当のことが書かれていると強く思わせられる。

それは作者の筆力がただならぬせいでもあるだろう。だが、同時に、作者が経験したことの重みが誠実なまでにひびいているからだ。

この小説を読んでいる間は背筋が伸びる。主人公の生き方のあまりの潔さに打たれる。

主人公は通信社の記者、楠陽。小説のなかではほとんど昭和天皇崩御の取材をしている。また元号も調べている。

記者仲間や官邸の人びと、学者たちが生き生きと描かれ、昭和が終わる頃の雰囲気が見事な散文に封じ込められている。ほろ苦いロマンスもある。

もっともっと作者の小説を読みたい。いまは議員をしておられるから無理だろうが時間ができたらぜひ書いていただきたい。

 

 

 

平成紀 (幻冬舎文庫)

平成紀 (幻冬舎文庫)

 

 

山田正紀のデビュー作。言語学・神学にからむSF

山田正紀『神狩り』(KADOKAWA / 角川書店、2002)

 

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山田正紀『神狩り』

 

山田正紀のデビュー作(1974)。第6回星雲賞日本短編部門を受賞している。

発表後30年を経て続編『神狩り2 リッパー』(2005)が発表されている。

表題通り、神を狩ろうとする無謀な企てを描くSF作品。主人公は機械翻訳を専門とする情報工学者・島津圭助。神戸で発掘された石室に文字らしきものが書かれているとの連絡を受け、調査におもむく。落盤事故が発生し、調査を依頼した作家は死ぬが島津は生き残る。

島津はCIAの及川五朗に拉致され秘密の研究所で石室の文字の解読作業に従事させられる。論理記号が二つしかない、ありえない言語であることを発見する。

研究室を出た島津は、神に恨みをもつ華僑・宗新義にクラブ理亜に連れて行かれる。そこで、神の存在を見ることができる理亜(ゆりあ)と、もと神学者の芳村老人に出会う。

彼らは協力して神を狩ろうとするが、それを妨害する霊感能力者アーサー・ジャクスンや、神自身との戦いが始まる。犠牲者の数が増えてゆく。

物語の発端でアイルランドにいるヴィトゲンシュタインが出てくる。「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない」とかつて自著に書いた彼は、その語りえぬことについて語らなければならない時を迎えていた。

この出だしはそれなりに重みをもつ。ところが、細部がいけない。神は細部に宿るというのに。たとえば、彼がいる場所について次のように書かれている。

アイルランド東海岸ギャルウェイ


ここを読んだだけで、アイルランドをよく知る人はがっくりするだろう。東でなく西海岸だし、この地名は英語ならゴールウェーだ。

それが地名ひとつのことならまだしも、言語学や神学に関する記述がほとんど信頼するに足りぬ。なんども途中で読むのをやめようと思った。

バーでの理亜の描写などにそれなりの魅力があるので最後まで読んだが、言語学・神学にからむSF作品としては粗すぎる。一部に高く評価する向きがあるのが私には理解しがたい。佐藤亜紀が「人類の調和や進歩のためならば、何百万人死んでもよい、というような、小松左京的粗野」と評したらしいが同感だ。

それでも、物語には奇妙に忘れがたいところがある。機会があれば続編を読むかもしれないとまで思う。

 

 

 

神狩り (ハヤカワ文庫JA)

神狩り (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

孝元の知られざる過去とユウキを結ぶ謎

葉山透『0能者ミナト〈10〉』KADOKAWA、2016

 

「0能者」シリーズ第10巻。今回も長編だ。

主役は高校生時代の荒田孝元(総本山の法力僧)と、現在の赤羽ユウキ(小学生でありながら強い法力の持ち主)。いつもは主人公の九条湊(霊能力ゼロでありながら科学的思考で怪異を退治する零能者)は脇役に徹する。

出てくる怪異(人の世の理から外れたもの、人の力が及ばぬ脅威)は牛頭鬼(ごずき、地獄の獄卒と言われる)、馬頭鬼(めずき、獄卒の番人と呼ばれる牛頭馬頭の片割れ)、神虫(しんちゅう、神の化身、疫鬼をくらう)など。

十七歳の孝元は牛頭鬼にやられそうになったとき、一刀両断のもとに牛頭鬼を退治した赤羽夏蓮に命を救われた。夏蓮は総本山のなかで五指に入る怪異討伐の手練れだった。彼女をそこまで鍛え上げた父親、赤羽義雄も並外れた法力の持ち主だ。

男所帯の総本山の中で女の傑物は異物として疎まれる。若い僧であった孝元は頼まれて家庭教師をするうち、そんな夏蓮に惹かれてゆく。ところが、あるとき、馬頭鬼が武具をもたぬ夏蓮を襲い、全身に大怪我を負わせる。夏蓮親子は総本山から姿を消す。一月ほどして義雄から孝元に手紙が届く。親子が総本山を出たのは夏蓮が妊娠したためであること、普通の男性と恋をして子を授かったことが記されていた。

現在に話がうつり、ユウキが留守番しているところに事件の依頼人がやってくる。四十歳くらいの国崎弦と名乗る男性だった。製薬会社の開発者で精神科の医師。怪異が見えるという心理学的な現象について調べているという。怪異は集合無意識から来る幻覚と決めつける。疑うユウキに、国崎はコップに水を汲んできてくれれば怪異が幻覚症状だと証明するという。懐から怪異という幻覚をつかさどる深層心理に働きかける薬を取りだす。これを飲めば怪異という幻覚症状は抑えられると説明する。ためしに飲んでみたらと言われてユウキは飲む。ユウキの法力に変化が現れるのか。

物語を通じて現在のユウキにつながる孝元の関わりが徐々に明らかになる。孝元とユウキのそれぞれの恋の要素も出てきて、人間ドラマの側面もある。

怪異ははたして幻覚症状なのか。さらに、興味深い問題として真名(まな)のことが出てくる。ユウキというカタカナの名前は真名を隠すためなのか。それは赤羽家の秘法にかかわるのか。

 

 

 

0能者ミナト<10> (メディアワークス文庫)

0能者ミナト<10> (メディアワークス文庫)

 

 

イーグルトンのポストモダニズム論の問題点を抽出する

風呂本武敏『華開く英国モダニズム・ポエトリ』(溪水社、2016)

 

題に「英国」とついているが実際にはアイルランドスコットランドを含む。

それらのモダニズム詩についての評論集(ラーキン、パウンド、イェイツ、エリオット、ロレンス、オーデン、マクダーミッド、ミュアー、ヒーニーらを扱う)。主に2000年代に書かれた評論を集めるが、最終章のみ書き下ろし。

その最終章「補遺 イーグルトンのポストモダニズム論——テリー・イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』によせて」について。

ここに著者のポストモダニズム観が要約的に示されており、それが他のモダニズムの章の理解に役立つ。

その要約は、テリー・イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』(森田 典正訳、大月書店、1998)'The Illusions of Postmodernism' (1996) からの問題点の抽出という形をとる。

同書はイーグルトンの著書の中では、有名な 'Literary Theory: An Introduction' (1983) と 'After Theory' (2003) の間に位置する。

題からもうかがえる通り、ポストモダニズムの批判書だ。

ざっくりいえば、ポストモダニズムは〈自分に甘い〉ということだ。ポストモダニズムは批判的自己分析ができていないということ。例えば次の「普遍」に関する指摘。

ポストモダニズムは社会現象に対して、例えば、雑種は純血より、多様は単一より、差異は同一よりも好ましい、というようなことをまるで普遍的倫理であるかのように主張している。しかし、普遍性こそ、ポストモダニズムが非難する啓蒙主義の時代から受け継がれた負の遺産ではないか。(46頁)

ポストモダニズムが独善的なのは、普遍に反対する立場を普遍化していることであり、共有された人間性という概念を、全く無意味なものと結論つけていることである。(73頁)

この73頁は重要な文なので、念のため、原文を引いておく。「全く無意味なものと……」以下は原文を読んだ方がよい。訳者は 'never' の意味を理解していないように見える。人間の歴史に思いを馳せながらイーグルトンはこの語を用いている。

It is just that it is dogmatic of postmodernism to universalize its case against universals and conclude that concepts of a shared human nature are never important, not even, say, when it comes to the practice of torture. (p. 49)

さらに、ポストモダニズムは出自がアメリカであることを自ら忘れている点がある。それを指摘する箇所。

アメリカのポストモダニズム反自民族中心主義に拘泥するあまり、自民族中心主義的色彩をおびてきている。こうした現象はそれほど珍しいものではなくて、アメリカはしばしば独自の政治的問題を、世界共通の問題として、全世界に認識させようとする。(166頁)

ポストモダニズムが一般的人間性の理念を疑問視したのは、マイノリティを強く意識した結果であった。しかし、実際に人種差別の被害にあっているマイノリティを救うために、なぜ一般的人間性の否定を言う必要があるのか、その疑問は消えることはない。(167-8頁)

このあたりの議論はアメリカ研究をしているひとにはよく知られているかもしれない。なお、「反自民族中心主義」と訳された箇所は原文で 'anti-ethnocentrism' となっている。また、「一般的人間性」の元の表現は 'general humanity' だ。73頁の「共有された人間性」(原文は 'a shared human nature')に近い。

つまり、ポストモダニズムに欠けているのは、批判的精神の原点である〈己自身を知る〉ということなのだ。

私はこうしたイーグルトンの議論を読みながら、カトリシズムの神学についての深い理解の点でG・K・チェスタトンを思い浮かべ、また自民族中心主義の陥穽からの脱出経路としてボブ・ディランの詩的洞察の鋭さを思った。

批評理論を批評理論としてだけ読むと、わかりにくいことが多いが、普遍とか汝自身を知れのような問題になると、神学や詩学の裏付けがあるほうがわかりやすい。カトリシズムとは普遍の謂いだし、自分の表現について詩ほど内省的なものはない。そもそも、本書は詩についての本だ。
 
 

 

華開く英国モダニズム・ポエトリ

華開く英国モダニズム・ポエトリ

 

 

Qシリーズの完結編で莉子はクリティカル・シンキングに向かう松岡圭祐『万能鑑定士Qの最終巻 ムンクの〈叫び〉』

松岡圭祐万能鑑定士Qの最終巻 ムンクの〈叫び〉』講談社、2016)

 

万能鑑定士の凜田莉子を主人公とするQシリーズの完結編。ストーリーとしては『探偵の鑑定 I・II』から続く。

本書は関連シリーズのオールスター・キャストの観を呈する。これまでQシリーズ全20巻や『探偵の鑑定 I・II』(凜田莉子と『探偵の探偵』の紗崎玲奈が出会う)や姉妹編シリーズ『特等添乗員αの難事件』(主人公の浅倉絢奈は先に『万能鑑定士Qの推理劇 I』で凜田莉子と出会っている)を読んできたひとには感慨深いだろう。

ムンクの絵画「叫び」の盗難事件の解決に取組むなか、凜田莉子は鑑定家としての自分の役割について考える。鑑定家はコピアのような史上最大の贋作家に勝てないのか。コピアのつくる偽物は科学を駆使した鑑定をもってしても本物と区別がつかない。彼が偽物を作っていることがわかっていても、鑑定上は完全な複製となるため、罪に問われない。偽物を作っているという証拠が見つからないからだ。

贋作家を廃業した雨森華蓮からは「コピアと関わるな」という忠告を受ける。さらに、「プロポーズを受けても、はいとか、いいえで答えるのは間違い。好きか嫌いで答えて」という謎の忠告も受ける。雨森は莉子の唯一の弱点は男性心理に疎いところだと示唆する。これは莉子と微妙な距離にある友人、小笠原悠斗と関係があるのか。

瀬戸内陸(莉子にロジカル・シンキングを教えたリサイクルショップ店長)は莉子に欠けているのはロジカル・シンキングとラテラル・シンキング(浅倉絢奈から影響された)のあいだを埋めるクリティカル・シンキングだという。「あらゆる物事の問題を特定して、正確に分析することにより、最適解にたどり着く思考法」で、この三つの思考が揃ってはじめて本当の推理が可能になると指摘する。クリティカル・シンキングの極意は自身の論理構成や要旨について内省するところだという。莉子は水鏡瑞季(『水鏡推理』シリーズの主人公)にクリティカル・シンキングの教えを請う。

このように周りからさまざまの課題も受けつつ、莉子は最強のライバル、コピアとの対決を迎える。お互いの人生を集約したような戦いが始まる。はたしてどのような結末が待っているのか。シリーズ最長の416ページあり、最終巻にふさわしい各キャラクターの活躍がたっぷり楽しめる。

 

 

 

 

「太陽の塔」を鑑定する

松岡圭祐『万能鑑定士Qの事件簿XII』角川書店、2011

 

「万能鑑定士」シリーズの第12作(2011)。事件簿の最終巻。大阪が舞台。

一つの区切りなので整理しておくと、本書の最後に「万能鑑定士Qの推理劇で、凛田莉子とまたお会いしましょう!」と書かれている。その『万能鑑定士Qの推理劇』は全4巻が刊行された(2011-13)。ほかに『万能鑑定士Qの短編集』全2巻(2012)。さらに、独立した題の『万能鑑定士Qの探偵譚』(2013)、『万能鑑定士Qの謎解き』(2014)、Qシリーズ完結編の『万能鑑定士Qの最終巻 ムンクの〈叫び〉』(2016)がある。

関連するシリーズに、万能鑑定士凛田莉子(ロジカル・シンキングを駆使)の友人の旅行会社添乗員、浅倉絢奈(ラテラル・シンキングを駆使)が主人公の『特等添乗員αの難事件』全5巻(2012-14)があり、姉妹編といえる。なお、本書『万能鑑定士Qの事件簿 XII』に出てくる科学研究の不正のテーマは、『水鏡推理』シリーズ(5巻まで刊行、2015-16)に引継がれる。

別のシリーズ『探偵の探偵』全4巻とクロスオーバーした『探偵の鑑定 I・II』からストーリー上続くのがQシリーズ最終巻の『万能鑑定士Qの最終巻 ムンクの〈叫び〉』。

本書で莉子が鑑定を依頼されるのは事件簿で最大の規模の「太陽の塔」。犯罪者側の勢力も過去最大の規模。それだけに全体の6割くらいまで進んでも、謎が解けるきざしが一向に見えず、重苦しい雰囲気がただよう。

発端は太陽の塔がある万博公園の近くに暮らす蓬莱浩志が、塔の方を眺めているときに妻の悲鳴を公園の方から聞いたことだ。警官に似た制服を着た巨漢が妻を連れ去ろうとしている。浩志は急いで通用口から公園に入る。さっきの制服はそこにいた警備員のものと同一だった。「なかに妻が」と訴えても開園前だと言われる。

浩志は妻を見かけた方角へ向けて駈けだす。妻が連れていかれた太陽の塔の方を目指す。妻が見当たらないので塔に入った浩志は頭上から悲鳴を聞く。内部の「生命の樹」の向かいの壁沿いにエスカレータがあるが、その四段目の踊り場に妻の姿を認める。浩志はエスカレータを駆けのぼるが妻はどこにもいない。結局、発見できなかった浩志は警察に捜査を頼むが、それでも見つからない。警察は夫婦間の揉めごととして処理しようとし、取合ってくれない。

困り果てた浩志は東京へ行き莉子に協力を依頼する。自分は人探しが専門でなく鑑定家なのでと莉子が断ると、では太陽の塔を鑑定してもらいたいと浩志は言う。応じた莉子が大阪へ行って調べるうちに奇怪なことが起こる。正体不明の鑑定依頼が莉子に次々とやってくる。まるで鑑定能力のテストのような変わった品ばかり。そのうちに、報酬として一千万円を支払うので引受けてもらいたいという依頼が届く。

過去にない規模の鑑定品にくわえ、過去最大規模の犯罪者集団の影を莉子は感じるが、手がかりが一切ない。莉子はこの謎をどうやって解くのか。

松岡作品の特徴である、ページが進むごとに何が起こるかわからない、サスペンス満載の謎が次々に出てくるさまは圧巻。事件簿の最終巻にふさわしい。

 

 

 

 

同じ思考法を使う兄弟子と対決する

松岡圭祐『万能鑑定士Qの事件簿)XI』角川書店、2011

 

「万能鑑定士」シリーズの第11作。京都が舞台。

有名な神社仏閣が多い京都で単立の貧乏寺を再興する青年、水無施瞬は東京でイタリアン・レストランを成功させた経験があるが、僧侶としての経験は全くない。ところが、住職の父に寺を継ぐと申し出る。

いざ始めてみると、寺は大評判になり、マスコミの注目も集め、観光バスが連なるほどになる。

いったいこの青年はどうやって飲食店も寺も成功に導いたのか。

貧困という逆境を商売人の脳を活性化させる最良の刺激と捉える、瀬戸内店長の教えを忠実に活かす。脈のありそうな方策をひとつに絞る有機的自問自答。出た答えを別角度から検閲する無機的検証。この二段階の複眼的かつ論理的な分析が成功の秘密だった。

この論理的思考は主人公の凛田莉子と全く同じ。同じ瀬戸内店長から教えを受けた兄弟子が水無施だったのだ。

その水無施が仕掛けたトリックを見破ろうとする莉子にとっては、同じ思考法を使う相手だけに、強敵である。莉子はいかにしてその謎を解くのか。

物語にはいつものとおり役に立つ知識が満載だが、特にボロ・アパート再生のために駆使されるヤフオク関連の知識がおもしろい。鑑定家である莉子は出品の写真を見ただけで適否をすばやく判断する。

もうひとつ、物語の底流として、仏とはなにか、という問いも含まれており、寺の経営と仏教という根本を考えさせるきっかけにもなる。