Tigh Mhíchíl

詩 音楽 アイルランド

記事一覧

〈ここからが本題〉とエピローグで宣言され、ドキッとする。幕末から現代までの重い歴史のあと、かろみの未来へ進むための方法

ミナミAアシュタール『新・日本列島から日本人が消える日(下巻)破・常識屋出版、2020

 

 

〈ここからが本題〉と、エピローグで宣言され、ドキッとする。

幕末から現代までの歴史を、戦争のくわしい経過などをまじえて語ったあとである。読者はお腹いっぱいになっている。ところが、そこまでは、いわば前置きにすぎず、本題はこれからというのだから、驚く。

読んでみると、それは本当だった。著者たちが一番つたえたいことはこのあとに出てくる。

それを一言であらわすなら、好きなことをして、楽しく、ご機嫌さんに暮らして、ということになる。

何じゃそれはと、多くの人が思うことは承知している。しかし、ものすごい重みの負の歴史のあとに、そのコースとは違う、かろみの未来へ進むための方法としてこれが提示されている。上下巻を読んだ人はこれが結論であることを知っているはずだ。

現実には、そうはさせないように、重いほうへ引きずり込もうとする陥穽に世界は満ちている。

上巻と同じく、驚くべき内容が満載である。日本に住む99%の人には信じられない内容だろうと著者たちはいう。その通りだろう。しかし——

これだけは書いておこう。キャッシュレス決済の進展からやがて身体にチップを入れて個体認証する時代がくるかもしれない。カードを失くす心配もなく便利だということになる。それは便利だが、同時に、どこで何をしているかを管理されることにもなる。が、それだけにとどまらない。その上、命にもかかわることになるのである。すぐには受入れられない情報だろうから、SFとして聞いておいてもらいたいと著者たちはいう。

もし、そのような時代がきたら本書を思い出してもらいたい。でも、都合の悪い書として読めなくなることもあるかもしれない。



そこで、覚書として、下巻で初耳だったことを書いておこう。

地球の縮図としての日本列島という考え方のことは比較的知られているだろう。だが、そのなかでも沖縄の役割については本書で初めて知った。沖縄は日本列島に対応するという。

明治維新によって日本に導入されたものがある。一つは金融システム。それにからみ、金 (ゴールド) が最も貴重な金属とされた宇宙史上の理由があること。もう一つは考古学。日本の考古学は西洋の考古学と違い、物質的なものにばかり目が行き、精神的なものを探そうという発想がないという。だから、掘っても土器しか出てこない縄文は何も残していないことになり、考古学者は困る。

 

 

 

ローカル史としての地球史とくに日本列島居住者の歴史を友達目線で宇宙的に伝えた書

ミナミAアシュタール『新・日本列島から日本人が消える日(上巻)破・常識屋出版、2020

 

相当に変わった本だ。

読者をえらぶ本でもある。あなたがこの書評を読んでいることも、偶然ではないかもしれない。

上巻を読みおわって言えることは、これまでの常識を破壊するような本だということだ。その意味では「破・常識な歴史」という惹句は誇張でない。ただし、神学や宗教を研究している人、ふかい信をいだいている人の場合は本書を読まないほうがよいかもしれない。



この本に出会ったきっかけは、アマゾンの本の歴史学ジャンルのランキングを何の気もなしにながめたことだ。その日、本書が1位になっていた。まったく知らない本で、著者にも、出版社にも見覚えがない。しかし、読者評をみると、ものすごい数の熱烈で肯定的な感想がならぶ。一見すると無名の書にもみえるのに、これは何だろうと思った。もう少し調べると、その出版社は本書を出版するために設立されたものとわかった。自費出版にもちかいのに、ベストセラーの1位となるとはただ事でない。

参考までに執筆時点(2020年8月20日)のアマゾンの本の歴史学ジャンルのランキングを見てみると、本書が2位、続きの下巻が4位に入っていた (下の画像参照)。

 


ちなみに、その日のランキングに入っているのは、1位が司馬遷史記1 本紀』 (ちくま学芸文庫)、2位と4位が本書の上下巻、3位が、かみゆ歴史編集部『マンガで一気に読める! 日本史』(西東社)、5位が山﨑 圭一『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた』(SBクリエイティブ)、6位が苫米地 英人『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』(コグニティブリサーチラボ)、7位がユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社)、8位が竹田 恒泰・久野 潤『決定版 日本書紀入門――2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る』(ビジネス社)、9位が『サピエンス全史』の上下合本版、10位が緑川 アイラ『ADHD女子革命: 自分のことが大嫌いだった私が、自分を大好きになって幸せになれた方法』(ゼロイチ出版) となっている。

率直にいって、歴史学というジャンル名に合うのか疑問の本もまじってはいるが、大部分は納得できる書籍群だ。そのなかに本書が入っているということは、少なくとも何かあるだろうと感じ、読んでみた次第である。



この上巻で扱われるのは、大きくわければ、宇宙史と日本史だ。

宇宙史のほうには、宇宙のはじまり、地球の誕生、恐竜時代などが含まれる。宇宙のはじまりのところは、山本佳人『宇宙意識の哲学的研究』のような哲学的な話がでてくる。ここの部分は哲学的発想に関心のない人には難解あるいは退屈に感じられるところかもしれないが、非常に興味深い内容で、これだけでも本書を手にとった価値はあると感じられた。

日本史をふくむ本書のそれ以外の部分は、奇想天外なストーリーが次々と展開するので、あまりのおもしろさに読むのをやめられないほどである。とくに、縄文、信長、秀吉、家康に関心がある人には興味深いだろう。



本書がどのようなものか、一言でいうのはむずかしいが、強いていえば、〈ローカル史としての地球史とくに日本列島居住者の歴史を友達目線で宇宙的に伝えたもの〉とでもなるだろうか。

改行が多いのは、ウェブ上の記事をそのまま本にしたためだと思われる。



著者名が変わっているが、これは四名を合わせた名前である。

 

 

 

「芝山はにわ」の人物埴輪は鍔つきの帽子と顎髭と美豆良の三点セット

日本国史学会、田中英道日本国史学第14号文社書房、2019

 

 

日本国史学会の学会誌「日本国史学」第14号に掲載の田中英道の論文「ユダヤ人埴輪をどう理解するか」について。

本論文を元にして、秦氏研究の構想を加え、口述体でまとめた書が『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』(2019) であった。論文であるので、注釈や参照文献が詳細であること、誤記ないし校正漏れがより少ないことを期待して読んだ。前者は満たされるが、後者はそれほどましとも思えない。学会誌だが、編集委員会の方針なども明記されていないので、査読や校訂なども行われていないのだろう。

ただし、文体は学術論文のそれで、このスタイルに慣れている人にはこちらのほうが読みやすいかもしれない。

ここでは、『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』にはなかった新たな知見や情報を書いておこう。



人物埴輪が五世紀後半から作られていること。「形象学的に言えば、それらは、生身の人間でなく、特定な人物と想定できない、一つのタイプとして制作されていると考えられる」という。その原因は技量の不足でなく、特有の創作目的があったとする。その理由は「それらが御霊の像であるから」と指摘する。この指摘は大胆な洞察をしめす。



西方の渡来人(帰化人)がやってきた時期は「弥生時代に始まり、応神天皇の時代を中心とする四世紀末から五世紀初めてにかけて、次に五世紀後半から六世紀中頃と、波状的に日本に渡ってきたと考えられる」こと。



「芝山はにわ」の人物埴輪は、鍔つきの帽子と顎髭と美豆良の三点セットであること (下の写真)。

この頭部の様子は、「世界の衣装史上、当然、ユダヤ人のそれを思い起こすはず」と述べ、〈ユダヤ人のそれは、歴史的なもので、古代のユダヤ教徒の独特の髪型、耳の前の毛を伸ばしてカールさせる「ペイオト」はよく似ている〉と指摘する。(*)

(*) ペイオト (Payot, פֵּאָה):「あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。」(口語訳、レビ記 19章27節)



秦氏の先祖は日本書紀(応神天皇十四年)によれば弓月君(ゆつきのきみ、中央アジアの弓月国出身の融通王)である。弓月君の民の渡来は、「仲哀天皇の時代の巧満(こうま)王の来日からおよそ八十四年後、第十五代応神天皇(在位二七〇−三一〇年)の第十四年(二八三年)に、日本に渡来していたと考えられる」こと。(*)

(*) 二八三年:佐伯好郎の説。一説には西暦372年とも、また5世紀前半とも。



ユダヤ人的埴輪が作られた時代は、人物埴輪が数多く作られた雄略天皇の時代(在位 456-479)と重なること。

「関東の古墳におけるユダヤ人埴輪は、雄略天皇に従う、関東豪族の、ユダヤ人重用の結果と見るべき」と指摘する。



ユダヤ人が支配階級になることなく、日本に同化していった理由については、本論文でもあまりふれられていない。その点は、近刊の『日本の神話と同化するユダヤ人』でより詳しく扱われるようだ。[『日本の神話と同化ユダヤ人』(勉誠出版、2020)]
    • 芝山はにわ
 

 

歴史ミステリー小説と銘打たれているが果たしてそうなのか。『ダ・ヴィンチ・コード』によく似て〈正史〉的な本では決して語られることのないような内容を大量に含んでいる。それをフィクションの形をとり書いた印象

伊勢谷 武『アマテラスの暗号(2019)[2020年の改訂版でなく、旧版]

 

歴史ミステリー小説、あるいは歴史ミステリー・エンターテインメントと銘打たれている。果たしてそうなのか。本書を読んだ人は誰でもそう疑問に思うだろう。日本という国に隠された謎がフィクションの形をとって白日の下に曝された本ではないのかと。

読後感としては『ダ・ヴィンチ・コード』によく似ている。本の中の随処にある謎が知識のある人なら解けるもので、しかるべき文献(外典など)を見ればその内容の多くが裏づけがとれるような本。しかし、〈正史〉的な本では決して語られることのないような内容という意味で。

大部な本だ。廣済堂出版から発行予定の紙冊体の本が650ページ[2020年版は536頁]。大部だけれども、展開がスリリングでおもしろいので、一気に読める。

タブレットなどで電子書籍版を読むと、カラーの写真や図版が見やすい。この方面(日本古代史、皇室とユダヤ、神社、神話など)に関心のある人には資料集としても役立つ。



本書の最大のテーマは神道とはなにかである。〈この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいています〉という断り書きがあるが、本当なのかと、読者の多くは思うだろう。それほど驚天動地の内容が含まれる。

本書が基づく最重要文献で、本書のストーリーでも重要な要素を占める本が『元初の最高神大和朝廷の元始』(桜楓社)だが、その本を読んだことのある人なら、本書に出てくるさまざまの驚くべき内容には、あまり驚かないだろう。だが、その本は稀覯書で、読んだことのある人は少ない。しかも、内容は神学的に難解である。

本書はそれに比べると非常に分りやすい。エンターテインメント小説として提供されているのだから、当然といえば当然だが。登場人物も個性的で、謎めいており、スパイや秘密組織も暗躍するので、スリル満点である。



ストーリーの発端はこうである。

「元ゴールドマン・サックス(NY)のデリバティブ・トレーダー、ケンシ(賢司)は、日本人父との40数年ぶりの再会の日、父がホテルで殺害されたとの連絡を受ける。父は日本で最も長い歴史を誇る神社のひとつ、丹後・籠神社の宗家出身、第82代目宮司であった。籠神社は伊勢神宮の内宮と外宮の両主祭神(アマテラスと豊受)がもともと鎮座していた日本唯一の神社で、境内からは1975年、日本最長の家系図『海部氏系図』が発見され、驚きとともに国宝に指定されていた。父の死の謎を探るため、賢司は元ゴールドマンの天才チームの友人たちと日本へ乗り込むが……」

先に挙げた『元初の最高神大和朝廷の元始』の著者は、その籠神社の第81代目宮司の海部穀定 (1900-1985) であった。81代というのはそれだけでも驚くべき数字である。同神社の創建は有史以前とされる。

主人公の設定にも見られるように、本書は遠い古代の昔話に終わらない。現代にもつながる問題で、おそらくは日本や世界の将来を左右するほどの重大な要素を秘めている

 

 

中身がぎっしり詰まっているが大変読みやすい

田中英道『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く 』(勉誠出版、2019)

 

「日本国史学」14号(2019)に掲載された論文「ユダヤ人埴輪をどう理解するか」を元にして、秦氏研究の構想を加え、口述体でまとめた書。まとめる段階で勉誠出版の編集が加わっていると思われる誤記ないし校正漏れが散見する点を除けば、大変読みやすい。

全179ページの小著に見えるが、中身がぎっしり詰まっており、一読したくらいでは内容を整理するのがむずかしいほど重層的な歴史が述べられている。



ただし、これを歴史学者は「歴史」とは呼ばないかもしれない。なぜなら、実証の軸が文献ではないからである。

ざっくり言うと、本書の論拠は、埴輪、DNA、周辺文献である。



結論は何か。古代日本に多くユダヤ人が渡来し、その後の貨幣古墳神社などに影響を及ぼしたこと。彼らは支配階層となることなく、日本に同化していったこと。以上である。

しかし、これだけでも日本古代史を書き換えるに十分な内容である。中国や朝鮮でない地域から多くの渡来人がやって来ていたことは、ふつうの人の視野にはないであろう。

「多く」とはどれくらいか。「応神天皇時代に一万八千人とか、欽明天皇の時代に七〇五三戸(約五万人か)秦民がやってきたことが記されており、十分の一から五分の一ほどの人に秦氏に占められていたことが予想されます」という (148頁)。なお、「縄文時代の東北から九州にいたる日本では、全人口は縄文中期で最も多く二六万人であった」と (147頁[「縄文時代の環境 その1」から引用されている])。



結論のところだけ、まとめてみると、ユダヤ人が日本にやって来たのは、「六世紀初頭、あるいは五世紀末だと思われる」という (112頁)。

貨幣というのは日本最古の和同開珎。それを作るための純度の高い銅について、採掘技術と精錬技術を持っていた群馬の多胡羊太夫という七世紀後半の伝説的人物 (166頁)。

古墳の建築技術への関わりに大陸的な工夫と富の蓄え。5,000から6,000基の前円後方墳 (172頁)。

宇佐神宮を総本社とする全国約44,000社の八幡宮。全国32,000社の稲荷神社 (175頁)。



最後に著者の言葉を引く。

日本の歴史を考える上では、世界の中の日本という視点が常に必要です。特に、いわゆる「古代」と呼ばれる時代の歴史において、それはまったく考えられてこなかったと言っていいでしょう。(176頁)

 

 

 

心身相関的に医学を捉える角度からみると考えさせる視点を多く含んだ小説

上橋 菜穂子『鹿の王 水底の橋KADOKAWA, 2019

 

2015年に本屋大賞を受賞した『鹿の王』の続編。だが、ヴァンとユナのその後の話ではない。ホッサルとミラルの話だ。また、オタワル医術と清心教医術の話ともいえる。

清心教医術は現代の医療に喩えるとどんな医療だろうか。ちょっと当てはまるものがないように思える。強いて挙げれば、聖人が癒しを行なっていた時代の医療か。

医術は人の生死を左右する。それゆえ、魂や心の在り様と深く関わらざるを得ない。

ところが、オタワル医術を修めるミラルは清心教医術にも理解をしめす。

清心教医術が神まで持ち出して、この世のすべてにこだわるのは、部分が組み合わさって全体になっても見えないものが、すでに、私たちにはぼんやりと感じられるからじゃないかしら〉

ミラルの恋人ホッサルはしかし、清心教医術とは対照的な医療観を有する。あくまで病に集中し、部分としての身体の状況に専念する。そんなホッサルでも美しいものには反応する。

〈(……これが鳥の声か)
 それは天から遣わされた何か——透明な輝きのように貴い何かに似て、胸を貫き、震わせた。
 梨穂宇のミンナルが鳴き止むと、静寂が深くなった。〉

ホッサルがミラルの感性を理解する日は来るのだろうか。身分の違う二人は結ばれるのだろうか。

そういう根っこの興味が読者を惹きつけつつ、物語は複雑な政治性を帯びてゆき、最後は法廷もののような論戦の場面になる。この部分が果たしてこの物語にふさわしいものなのかについては、読者の評価は分かれるかもしれない。

今日の医学においては心身相関的(psychosomatic)な発想が重要性を増している。その角度からみると、考えさせる視点を多く含んだ小説だ。

 

『鹿の王・上』 

『鹿の王・下』

 

 

 

読むうちにどんどん引き込まれる薬草の本

西村佑子不思議な薬草箱 魔女・グリム・伝説・聖書山と渓谷社、2014)

 

本書は魔女にまつわる薬草、聖書にからむ薬草をとりあげ、どんな草なのかに迫った本。

軽い気持ちで読み始めたのだが、読むうちにどんどん引き込まれて行った。

なんの気負いもてらいもなく、叙述は淡々と進む。だが、そのうちに、薬草と人々の生活の関わりが、じわじわと浮かび上がってくるのだ。古い時代のことを語っているのに、現代の私たちにも関係がある。そのことが、ゆっくりと染み通ってくる。

とは言っても、中には珍しい薬草もある。そういうものは想像するだけだが、それもまた愉しい。

しかし、多くの薬草や植物は私たちが日常に食しているものだ。そのつもりで見れば、驚くほど多くの植物と私たちは関わりを現に持っている。そのことに改めて気づかされる。

著者の姿勢をよく示すと思われるのが、次の言葉だ。

〈規模の大小は問わず、大げさにいえば、草が生えているところなら道端でも山道でも私には立派な薬草園になる。専門家から見たら幼稚だと思われるようなことも私には発見なのだ。素人なりの見方、楽しみ方がある。〉

著者によれば、聖書の中に出てくる薬草を集めた聖書薬草園がドイツには百以上あるという。著者はそういうものだけでなく、修道院の薬草園や大学植物園を訪ねている。

聖書薬草園といえば、日本にもある万葉植物園のことを思う。万葉集に出てくる植物を集めた植物園だ。そこでしか見られない万葉の植物にふれると、古代の世界が身近になる。現在にも続く植物の存在を目の当たりにすると、不思議な感覚にとらわれる。同じようなことが著者の場合には、魔女や聖書にまつわる薬草でも起こったのだろう。

個別の薬草や植物について、本書は大変くわしい。例えば、マンダラゲ(マンドレーク)は、シェークスピアハリー・ポッターにも出てくる有名な植物だが、本書では第2章の「アルラウネ」で詳述されている。今まで見た中ではこの植物について最も詳しい記述の一つではないかと思う。