カレン・L・キング『マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒』(河出書房新社、2006)
先に原書を読み、後で、ある記述を確かめる必要から本訳書を手に取った。
結論からいえば、その記述は見つからなかった (後述)。
第1部『マリア福音書』はすばらしい。キリスト教に関心あるすべてのひとが読む価値がある。
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この貴重な書が再版されることがあれば、第3部5章「キリスト教史」は、ぜひ訳し直してもらいたい。原文を恣意的に省略している箇所があるので、このままでは信頼して読めない。
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省略だけではない。同章の170頁第2段落「新発見のテクストには、イエスの救済の教えの重要性を強調するものがいくつかある——それらは、ニカイア信条とは対照的に、イエスの教えの内容や、あるいは、イエスが師であることさえ信者たちに受け入れることを求めていない」は、内容的には本書の中核的重要性を宿す箇所であるが、誤訳である。ここを2人の訳者が翻訳したとは信じられない。ここを読んで得心しなかった読者は原書に当たる他ない。この翻訳では、内容が逆になっているからである。
原文は、上記の言葉をそのまま使えば、「新発見のテクストには、救済のためのイエスの教えの重要性を強調するものがいくつかある——それらは、イエスの教えの内容や、あるいは、イエスが師であることさえ信者たちに受け入れることを求めていないニカイア信条とは対照的である」の意である。
この誤りは関係詞 which が the Nicene Creed にかかることを (意図的に) 見落としたことからきている。そこにかけずに、several にかけている。英文法的にそれはあり得ない。
原文は 'Among the newly discovered texts are several that emphasize the importance of Jesus' teaching for salvation--in contrast to the Nicene Creed which did not ask believers to affirm anything about the content of Jesus' teaching, or even that Jesus was a teacher.' (Karen L. King, 'The Gospel of Mary of Magdala: Jesus and the First Woman Apostle', Polebridge P, 2003, p. 164, 下)
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この箇所は、『マリア福音書』『トマスによる福音書』『真理の福音』がイエスの (救済のための)〈教え〉を強調する、新発見のテクストであることを言っている。イエスの〈教え〉を確認しなさい、とは信者に求めていないニカイア信条とは対照的なテクストであると。
両者の優劣を比較しているのではない。強調点が違う。ニカイア信条はイエスの生涯、その行動 (の意味) に焦点を当てる。新発見のテクストは むしろイエスの教えに焦点を当てる。その違いである。単純だが、重要な違いだ。
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冒頭に書いた〈ある記述を確かめる必要〉について。
保江邦夫『伯家神道の祝之神事(はふりのしんじ)を授かった僕がなぜ ハトホルの秘儀 in ギザの大ピラミッド』(ヒカルランド、2013) の205頁に次の記述がある。
.. マリアによる福音書に記されていた三十代前半のイエスについてのことだった。それは、新約聖書ではその頃に荒野をさまよったイエスが悪魔と対峙し、ついにはそれを退けることができたために覚醒したとされているが、本当はエジプトに行ったのだということ。そして、ギザの大ピラミッドの中に入ったイエスはマグダラのマリアと共に、王の間で当時のエジプトの神官から「ハトホルの秘儀」と呼ばれるものを受けたというのだ。
この〈マリアによる福音書〉とは、『マグダラのマリアによる福音書』のことである。
原書でそのような記述を読んだ記憶がなかったので、上記が指す翻訳書(本書)を読んでみたが、その記述は発見できなかった。
見落としたかと思い、3度、目を通してみたが、発見できなかった。おそらく、他の関連する和書にそのような記述があるのを保江氏が勘違いしたものと思われる。