水平思考(ラテラル・シンキング)を駆使する浅倉絢奈が活躍する「αシリーズ」の第1巻。
「Qシリーズ」にしろ、「αシリーズ」にしろ、松岡圭祐は該博な知識をもとに柔軟な推論を鮮やかに展開させる印象があるが、人物の描写に何ともいえない温かみがあり、その人情表現にはほろっとさせられる。ミステリ系の読み物では稀有な味わいだ。
例えば、捜索で大失敗をやらかした政界のエリート壱条のもとに誕生日ケーキが届いた場面は次のようにつづられる。二十代半ばの壱条と年老いた秘書能登との対話だ。
壱条は力なく苦笑してみせた。「もうお祝いをしてもらう歳でもないよ」
「私の妻はいまだに誕生日にクッキーを焼いてくれますよ。人間、若いころに想像したほど老けこんだりしないものです」
この種の人物描写はたびたび出てくるので、付け焼刃的なものでなく、著者からにじみ出るものだろう。人の死なないミステリを書く作家の創作の源は案外このあたりにあるのかもしれない。
Qシリーズの凛田莉子と浅倉絢奈が初めて出会うドーヴァー港の場面は『万能鑑定士Qの推理劇 I』と同じだ。
水平思考そのものの評価をめぐって大きな試練がやってくるのは意外だが、それを絢奈はどう乗り越えるのか。
本書では論理的思考と水平思考の関係についての面白い考察が見られる。前者を働かせるためには論理の始点が必要だが、それを見つけるのに苦労する場合がある。そんな場合でも後者ならあらゆる可能性の模索の中から瞬時に解の方向を見出すことがある。その見つけ方は絢奈の場合には<最初に花が咲いた道筋をこそ真実と信じて疑わない>態度からやってくる。
Qもαも一見すると、美貌の女性が難事件を胸のすく解決をしてみせる痛快なミステリ小説と見える。確かにそういう面は大きいのだけど、視点を変えれば、これは一種のアレゴリではないか。論理的思考と水平思考について、それぞれを具現する人物をあてはめ、人情をたっぷりからませることで親しみやすくしながら著者の考察の成果を提示する、そういう作品ではないか。知識やエンターテインメイントの面でも全く抜かりはないのだけど、そしてその意味で楽しめる要素は満点なのだけれど、作品の本質は思考法についての考察にあるのではないかと思える。そう考えれば、現代人が求めるものをよく考究した作品といえる。