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ロシア小説における「子供時代」のトポスの変遷


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 リュドミラ・ウリツカヤ『子供時代』(新潮社、2015)の「訳者あとがき」で沼野恭子は子供時代を扱ったロシア小説の系譜に触れている。

 19世紀半ばから20世紀後半を眺めわたすと、〈ロシア文学には伝統的に「幸せな子供時代」と「惨めな子供時代」の両極が存在〉している。

目次

「恵まれた幸せな子供時代」の系譜

  • レフ・トルストイ『子供時代』(自伝的三部作の最初の中編、1852)〔邦訳『幼年時代』〕
  • セルゲイ・アクサーコフ『孫ボグロフの少年時代』(自伝的回想記、1858)
  • イワン・ゴンチャロフオブローモフ』(幸せで牧歌的な「理想郷」たる子供時代を描く長編、1859)
  • イワン・ブーニン『アルセーニエフの生涯』(自伝的長編、1930)
  • イワン・シメリョフ『神の年』(長編、1933)
  • ウラジーミル・ナボコフ『記憶よ、語れ』(自伝、1966)

「辛く苦しい子供時代」の系譜

ウリツカヤ『子供時代』の姉妹編

  • 『少女たち』(1953年のモスクワを舞台にする6つの短編、2000)〔邦訳『それぞれの少女時代』〕
  • 『子供時代 45-53:きっと明日は幸せになれる』(ウリツカヤ編の回想集で一般の人々が綴った手記から成る、2013)

ウリツカヤ『子供時代』(Childhood Forty Nine)の表紙絵

 邦訳は2003年版(エクスモ社刊)の表紙が用いられている。この絵は Ludmila Ulitskaya の作品と直接の関係がないが、たまたまこの作品で出会った。Vladimir Lubarov の絵は農家の前を天使を抱きかかえた男性が通る場面である。男性は裸足。農家の男女は話しこんでいる。屋根の上の猫だけがわずかに男性と天使に関心を向けているように見える。

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 この絵を見てただちに思い出した一枚の絵がある。フィンランドの Hugo Simberg の 'The Wounded Angel' [Haavoittunut enkeli] (1903) である。関係があるのかどうかは、わからない。参考までに下に掲げておく。シェーマス・ヒーニがこの絵について詩 ('Known World') を書いたことがある。

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 二つの絵は、傷ついた天使を農民が運んでゆく点が共通している。シンベリの絵はフィンランドの「国家の絵」に選ばれたこともある(2006年)ほどで、多様な解釈を呼んでいる。一方、リュバロフの絵は表紙に採られたのが一部で、全景からすると天使を抱えた男性は巨人あるいは大男にも見える。

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 ここから先は解釈になる。天使が傷つき地上にいる(ただし、天使の足は地についていない)ことは、何らかの理由で天使が本来の活動ができていないことを示唆する。本来、人間によりそい、守護し、神のメッセージを伝え、人間に癒しを与えるはずの天使が逆に人に助けられている状況。これは人びとの苦しみ、悲しみがあまりに深いために天使もまた傷つき、地に落ちていることを表すのかもしれない。