三千頁にわたる物語が幕を開ける。ときは超古代。
百年前の洪水を経た島。氷河時代が終わった頃、およそ一万二千年前の世界。
古代の人と神とのかかわりを描いた作品といわれる。
もともと、少女漫画雑誌「ぶ〜け」(集英社)に1986年から1997年まで連載されていたが、完結する前に掲載が打切られた。しかし、作者が1999年に最終巻を描き下ろし、完結した。全15巻。その翌年、2000年に早川書房に版権が移り、ハヤカワ文庫JAとして刊行された。全7巻。
そして、2014年。クリーク・アンド・リバー社が電子化。電子版のみの描き下ろしイラストとサインとあとがきが附く。
1巻ごとの密度が濃いといわれる。
読んでいて、そこかしこに感じることがある。まとめて評すると忘れてしまうこともあるかもしれないので、1巻ごとに気づいたことを書いてゆくことにする。
扉の真ん中に日本列島が描かれている。舞台は日本らしい。その列島に重ねてふたつの三角形が描かれ、その上に円、下に四角が描かれる。
ぜんぶで四部から成る。第壱部が「神名を持つ國」。
冒頭、少年・鷹野(たかや)がなにごとか唱えている。両手を巨石にあてて。巨石は浮かんでいる。そのようすをながめる青年・青比古(あおひこ)。真言告(まことのり)の音程と発声の訓練中である。真言告とは、目に見えぬ神々からさずかった神聖な知恵。
鷹野が小さな声に気づく。行ってみるとかごに入れられた赤ん坊が川に浮かんでいた。鷹野は「おれが見つけたんだからおれのもんだよね」と興奮する。(以後、鷹野は責任感をもってその赤子を育てようとする。)
死にかけていた赤子を救った巫女は神来をうけ、その子をトオコと名づける。「鷹野は全部ア音列、トオコは全部オ音列。よく呼応する」と言いながら。トオコは鷹野の妹となる。トオコは漢字で透祜(コの字は示+古)。
その七年後、平和な村を突然、邪悪な徒党が襲う。村が焼かれ、子供等がさらわれる。襲ったのは外國(とつくに)の荒ぶる神々とその配下となった信者たちだった。いわゆる目に見える神々の一派である。「目に見えぬ神々はもはや天界 地界のいずこにもおられはせぬ。今後は我らの意に従え」と迫った。が、巫女は「従えませぬ」と断る。
巫女は、目に見えぬ神々から賜った御神宝と知恵の書を樹の根元から掘出し、よくその知恵を学び、守り伝えよと、透祜らに命ずる。
そこへ別の一派が来訪する。目に見える神々を奉ずる二派のうちの一派、亞神 正法神 律尊につかえる者たちで、さきに村を襲ったもう一派、威神の連中を追いかけてきた。
物語はこのように、目に見える神々の亞神(善を好み聖を欲し平和を望む)と威神(悪を好み魔を欲し破壊を望む)の争い、および彼らが持たぬ目に見えぬ神々の知恵を伝える透祜たちの三つ巴として展開する。
すでにこの構造のうちに、古代日本以来の隠された闘争地図が表されているようにも思える。
言葉がよく練られており、絵が圧倒的に美しい。物語の密度は濃い。これからが楽しみだ。
少女マンガの評論を多く書いている藤本由香里が「少女マンガとスピリチュアルな世界」の中で<水樹和佳子『イティハーサ』は、「神と人とのかかわり」を問い、最後まで一部の隙もなく高い完成度で描ききった、少女マンガ史に残る金字塔であった。>と書いているらしい(平凡社刊『宗教と現代がわかる本 2007』所収)。
題名「イティハーサ」がどこから名づけられたかが分からないが、サンスクリトの itihās (過去の出来事〔iti + ha + ās 「まことにそのようであった」〕)に由来する itihasa (歴史物語)のことかもしれない。「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」もイティハサである。