Tigh Mhíchíl

詩 音楽 アイルランド

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Owen Tufts


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 平原とか河口とかを聞いて、またシンガー・ソングライターという「種族」への興味がぶりかえした。

 アイルランドの伝統歌にもその種の人たちがつくったと思われる歌はある。たとえば、有名な<Eanach Cuain>はラフトゥリー作の歌といわれる。

 ところで、現代においてシンガー・ソングライターの本場といえば北米だろう。*1 ギターを手にして自作の歌をうたうというスタイルはきわめてインパクトが強く伝染力があるのはイングランドアイルランドを見ても分かる。このスタイルはフォークやブルーズの原点ともいえる。バートやジョンやデイヴィはみな大西洋のかなたを向いたところからスタートした。*2

 今日、自分の サイト のトップに掲げたのはニューオーリンズビッグ・ダディー・オー(Owen Tufts)。この人は自作曲は確かまだ一曲しか発表していないので、シンガー・ソングライターとはいいにくいが、ともかくいい歌をとりあげて自分のギターに載せてうたう。ただそれだけといえばそれだけだが、この味が何かを感じさせる。

 声がまずいい。ボズ・スキャグズを苦みばしらせ、ときにジャクスン・ブラウンのような母音のひびきをまじえ、これにあったかみを加えたような太い太い声だ。ギターもいい。リズムのセンスや歌との兼合いが非常に気持ちいい。ほかのミュージシャンが加わるときには完全にルイジアナのサウンドになる。そのサウンドにおける一見乱雑なからみあい、あるいは遊びはニューオーリンズ音楽の伝統を感じさせるが、ユニゾン一辺倒のアイルランド音楽と比べるとひどく自由に聞こえ、アイルランド音楽が逆にストイックに感じられてくるほどである。もちろん、それはアイルランド音楽が本質的にソロの音楽だからだ。しかし、ストイックかと言うとそれよりむしろ、自分個人より芸のほうが大きいという位置感覚というかスケール観が根底にあるが故のことである。この芸の伝統が巨大すぎるのだ。*3

 今日、北米には、あと女性でテリ・ヘンドリクスとか、ジョー・セラピアといったずば抜けた歌い手がいる。男性ではこのタフツが飛びぬけているように思う。こういう人たちの特徴は、一色にそまらないことで、音楽的アプローチが非常に自由で柔軟性があることである。自分がどういう音楽をやっているかがはっきり分かってやっているので、クリエイティヴィティがさえぎるものなく発揮されている感じなのだ。自由自在だ。

 ひるがえってアイルランドを考えると、ジミー・マッカーシーの名前を挙げたところで止まってしまう。これを伝統音楽の呪縛と考えてはまずければ、いったいなぜなのだろう。

 逆に言えば、タフツの場合、伝統にどっぷり浸っていながら、そこから限りなく自由に歌そのものを楽しんでいるのだ。まことに気分がいい。

*1:現代においてと断るわけは、たとえば「12世紀において」とすれば、トゥルバドゥールを擁するプロヴァンスになるという具合になるからである。

*2:その証拠を1枚だけ挙げると、Bert Jansch が Brownie McGhee と演奏した曲が収められている《Acoustic Routes》[Demon, 1993]

*3:ルイジアナの伝統が小さいなどと言うつもりは微塵もない。ただ、音楽家の伝統観に差があるだろうと示唆しているに過ぎない。この差はひょっとすると、米愛の歴史の違いや言語における発想法の違いに帰着するかもしれない。

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