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万葉集の感性のコアの部分は「コンテンポラリ」であると考え英訳された詩と美しい写真と


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『Man’yo Luster―万葉集

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Levy Hideo- Man'yo Luster

美しい本である。

万葉集の抜粋とその英訳(リービ英雄)、イメジ写真(井上博道)から構成された大型本だ。全380頁。歌の読み下し文および口訳は中西進万葉集 全訳注 原文付』に拠る。

この本を読む人はおそらく標準的な万葉集の本は別に持っているだろう。それらを参照するための手がかりとしては歌番号のみ。巻数は省略。



序文(英語)でリービ(Ian Hideo Levy)は8世紀初頭当時の廷臣の感性を満たしたのはアニミズム——自然が魔法をかけられたように生き生きしているという感覚——の遺産だったと述べる。こういう自然のアニミズム的な豊かさを言葉でもって息を呑むような力と美とを備えた風景へと転じた詩が収められていると書く。この書き方はまるでヴェーダの祈りの描写のようだ。

その詩のイメジャリは視覚的で力強く、ときに動的であるとリービはいう。すべての自然を視覚的メタファの源泉とするので、古代の作品ではあるが際立って翻訳しやすいと彼は考える。その感性のコアの部分は「コンテンポラリ」であると。ゆえにこの英訳。

1300年前のこの日本の詩には光輝(luster)があり、まるで昨日書かれたかのようであると彼はいう。事実、リービの翻訳は米国では翻訳詩として受入れられ1982年の全米図書賞(翻訳部門)を受賞している('The Ten Thousand Leaves: A Translation of The Man'Yōshu, Japan's Premier Anthology of Classical Poetry' [Princeton UP, 1987])。

この本は言葉とイメジの融合により古代のヴィジョンを現代世界にむけて表現しようとした試みである。

***

あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の
            にほふがごとく今盛りなり[巻3-328]

The capital at Nara,
beautiful in green earth,
flourishes now
like the luster
of the flowers in bloom.

〈花が輝く。(中略)ことばのlusterが千三百年が経っても消えない〉とリービはいう。確かにその通りだろう。

〈万葉の艶は、英語にも出る。英語に出たとき、万葉集は、人類の古代から受けつがれている最大の叙情詩集、というもう一つの像を結ぶ。〉と彼が書くとき、読者の側は感性をフル動員して、彼が伝えようとしたものを読み取ろうとする。



現代人がこの歌を読んでも、ほぼわかる。しかし、「にほふ」がやや引っかかる。リービは別の本で〈「にほふ」は「光」という意味もあるのでluster、「艶(つや)」になる。古代の都会人のことばの艶が、lusterが、今も残る〉と書く(『英語でよむ万葉集』)。

本書の底本の中西進万葉集 全訳注 原文付』には「薫(にほ)ふ」について〈色にも香にもいう〉とある。現代人の使う「におう」の意味もあったわけだ。だが、ここは色の方の意味らしい。「咲きさかる花のかがやくように」と訳す。

日本古典文學大系『萬葉集 一』には「にほふ」について〈赤・黄・白などに映える意。転じて香りにもいう〉とある。なんとカラフルな語感の語だ。しかも、そのカラフルな意味が原意で、香りの方が派生であるとは。ちなみに、この歌はあまりに簡単だと思ったのか、他の歌には付いている「大意」すら付いていない。

しかし、この大系本には枕詞の「あをによし」についてこう書いてある。

地名ナラにかかる。奈良時代には青丹の美しい意に解されたらしい。原義は、アヲは青、ニは土の意、ヨ・シは共に間投詞という。…ヨシの形の枕詞は例が多い。

この説明は中西進の上掲書の〈奈良の美称。「青土よし」の意か〉より興味深い。

大系本に従えば、原義は「ああ、青い土よ」くらいの意味なのだろう。こう思って本歌をよみかえすと、実にカラフルに光輝く往時の都が目に浮かぶような気がしてきた。緑を背景に赤・黄・白に映える花のような都のたたずまい。これをじっと思い浮かべていると、本当に千三百年の時が超えられそうに感じる。



上の英訳において「盛りなり」をflourishと訳したことについて、リービはフランス語のla fleur「花」と同じ語源をもつことを記している。

flourish / flowers の /fl/ の頭韻は確かに感じられ、語義の点でも響き合う。



しかし、luster一語で原語のカラフルなニュアンスが出ているかということになると、それは無理だ。きらめきや輝き、つやは出ても、色の彩までは感じさせない。

***

よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ(巻1-27)

The good ones of the past
found Yoshino good,
and often had a good look,
and spoke good of it.
Have a good look, my good one,
have a good look.

「よし」を八つ重ねた。英訳は good を七つ重ねる。おもしろい訳だ。

***

やすみしし わが大君の 聞(きこ)し食(め)す 天の下に 国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば 百磯城(ももしき)の 大宮人は 船並(な)めて 朝川渡り 舟競ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激(たぎ)つ 滝の都は 見れど 飽かぬかも(巻1-36)

Many are the lands under heaven
and the sway of our Lord,
sovereign of the earth's eight corners,
but among them her heart
finds Yoshino good
for it crystal riverland
among the mountains,
and on the blossom-strewn
fields of Akitsu
she drives the firm pillars of her palace.

And so the courtiers of the great palace,
its ramparts thick with stone,
line their boats
to cross the morning river,
race their boats
across the evening river.
Like this river
never ending,
like these mountains
commanding ever greater heights,
the palace by the surgins rapids--
though I gaze on it, I do not tire.

持統天皇の吉野行幸の際に柿本人麿が作った歌。すばらしい。さすが、人麿を専門とするリービだけある。彼はよく枕詞を文字通りに訳しておもしろい効果を出すが、ここのsovereign of the earth's eight cornersは傑作だ。原文は「八隅知之」。

***

軽皇子(かるのみこ)の安騎(あき)の野に宿りましし時に、
柿本朝臣人麿の作れる歌

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ(巻1-48)

By Kakinomoto Hitomaro, when Crown Prince Karu sojourned on the fields of Aki

On the eastern fields
I can see the flames of morning rise.
Turning around,
I see the moon sink in the west.

リービが万葉集は翻訳可能だといったことがこの訳で実感できる。人麿の天才的な詩行は全く普遍的だ。リービの訳はまるでイマジストのようだ。

 

 

Man’yo Luster―万葉集