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ブータン人の目を通して見る現代日本の姿


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伊坂 幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー

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伊坂 幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』を読むよう勧められた。ボブ・ディランの歌が出てくるからだ。

読んでみると、怒りがこみ上げてくる。読むように言われたことに対してではない。小説に描かれた暴力にだ。

ブータン人ドルジの目を通して見る現代の日本の姿に怒りがこみ上げてくるのだ。なぜ、日本はこんな国になってしまったのか。

ペットを「可愛がる」ことを娯楽にする若者集団が出てくる。チンピラが使うような意味での「可愛がる」だ。動物虐待を当然の娯楽と思う、ふつうの若者がいることに衝撃を受ける。彼らは人間を二つの集団に分ける。加害者集団と被害者集団だ。自分たちは前者に入り、後者を「可愛がる」という都合のよい仕掛けだ。対象は動物にとどまらない。いつ人間になるか分からない不穏な空気がある。そのあたりが読んでいて極めて不快である。

対照的にブータン人の純朴さが胸を打つ。決して理想化された姿ではないのだけれど。

もう一つ、ボブ・ディランの歌声が物語で決定的に重要な役割を果たす。これは意外だ。その声は「優しいし、厳しい。無責任で温かい」。

小説のタイトルは一見して意味不明だが、これほど内容をよく表すタイトルはないと、読むと思える。アヒルが「中国のほうで改良された鴨」というざっくりした説明が書いてある。アヒルがここではブータン人のこと、鴨が日本人の琴美という女の子のことだ。コインロッカーは最後まで読まないと分からない。

ブータンから来た留学生のドルジとそのガールフレンド琴美、それにドルジに日本語を教える河崎が物語の主人公。そのまわりに、ペットショップの店長の麗子、および大学に入ったばかりの椎名がいる。

男は苗字、女は名前で呼ばれている。小説の〈現在〉の章の語り手は椎名、〈二年前〉の章の語り手は琴美だ。それぞれの章の登場人物が少しづつ重なって行き、最後には一つの物語になる。

中盤を超える頃から、読み終えるのが惜しい気分になってくる。そうした気分になる小説はめずらしいが、そうした小説は例外なく傑作だ。

描かれるのは切ないというより残酷にちかいことだけれど、そのままであったら単に残酷な小説で終わりそうなところを、ブータン人の世界観が奇妙な仕方で救っている。

ブータンでは「自分のことだけじゃなくて、他人のことを祈ってるっていうのは本当?」と麗子が尋ねると、ドルジはこう答える。

「世の中の動物や人間が幸せになればいいと思うのは当然だろ。生まれ変わりの長い人生の中で、たまたま出会ったんだ。少しの間くらいは仲良くやろうじゃないか」

たとえ生まれ変わりを信じない人でも、こうしたブータン人の考え方には共感を覚えるのではないか。

ボブ・ディランブータンのどちらかが好きか、あるいはどちらも好きな人は一読の価値がある小説だ。どちらにも関心がなくても、たぶん読む価値はある。動物まで含めたあらゆる生き物の生死について、根源的な思索に誘うきっかけになる物語だ。

 

 

 

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)