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21世紀の「逃走論」


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花房観音『情人』幻冬舎、2016)

 

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「縦に揺れ、布団に入ったまま宙に浮いてまた落ちた。」(16頁)

1995年1月17日午前5時46分。神戸。

「逃げてるよ。でもそれのどこが悪い? 無理にできないことをして倒れたり病んだりするよりは、逃げて、ひとりで生きていくほうがいい」(113頁)

ダメ人間の群像。男も女もある意味壊れている。

上の言葉を吐く兵吾は自分がダメ人間だとわかっている。

「そもそも、ちゃんと生きようという気がない。誰かのために生きるということも、できない」(113頁)

主人公の笑子の家族の崩壊が決定的になった阪神大震災の日から後の生き方。笑子は京都へ引っ越す。著者は京都をえがく筆致に定評がある。

タイトル通り「情」の諸相を纏う人間がテーマになっている。その「情」はどこか乾いており、それをえがく文体も乾いている。その芯のところに湿り気がないかというと、そうもいえない。しかし、どこに湿りがあるのかについて、言葉に出すこともできないし、実際わからない。

***

ある意味で米国のポスト黙示録と呼ばれる小説とどこか味わいが似ている。

先の見えない、得体の知れない脅威に圧し潰されそうになっている21世紀の現代でサバイバルを図るために、多くの人びとが無意識のうちにあみ出した戦術といえるほどでない戦術。それが男女の情交を通じて、震災後の日本を背景にして描かれている。逃げて逃げて逃げまくれ。それのどこが悪いというのか。そんな声にならぬ叫びや呻きが地の底から聞こえてくる。

笑子の心の声は本心だ。

「逃げてる——兄も、母も——私も、逃げている。だから兵吾ひとりを、責められない。」(114頁)

しかし、逃げることには罪悪感がともなう。その罪悪感からは逃れられない。

震災後、生きのびた人々は、震災で死んだ人々に対し、罪悪感を心のどこかに抱いている。逃げる。逃げたい。けれど、逃げられない。このディレンマは震災後の21世紀を生きる人々についてまわる。

人により逃げる対象が違う。しかし、罪悪感だけは一緒だ。元の彼女を震災で亡くした片岡がなんで「俺が生きているんだろう」と罪悪感を感じるが、笑子も違う罪悪感を抱くことに気づく。

「片岡の口から発せられた罪悪感という言葉が胸に響いたのは、自分が片岡とは違う種類の罪悪感を背負っていたからだ。街からも家からも逃げたという罪悪感を。」(140頁)

しかし、震災後の世界で自分で自分を責めることが正しいことなのか。その問いをこの小説は突きつける。

震災の年に神戸の新聞社に入って復興を追い続けてきた片岡は、街が昔の輝きを取り戻してきたのを機に退職し、小出版社に就職する。それは罪悪感が少しは軽くなったということかという笑子の問いに片岡は答える。

「いや……俺のすべきことは、もう震災を追うことやないって思って……じゃあ次に何をやるべきかというのは、考え中。罪悪感はまだあるよ、毎日感じてる。朝起きて、あ、俺、生きてるって考える度に、俺はこれから何をすべきなのかって、考えてる」(141頁)

笑子はこの答えに「あの震災の日以来、ずっと抱えているものを、この人は言葉にしてくれた」と思い、ふいに心が軽くなる。

これから何をすべきなのか。その問いがあるだけでも救われる。

***

小説の舞台は2006年以降、東京へ移る。仕事場が東京に移った笑子が三都市を比較する。

「三月の東京はまだまだ寒い。
 けれど京都よりもましだ。寒さも、暑さも。神戸も暑いけれど、寒さは東京とはどっこいどっこいだ。東京の空は高い建物で視界が阻まれ、眺める度に狭いと思ってしまう。東西南北がわからないのは、神戸のように海と山が見えないからだ。」(278頁)

京都の空はどこでも見える。高い建物がないから。空と都市とは案外重要な関係がある。

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笑子は「あれ以上の災害はないと、何の根拠もなく思っていたのは私だけではないだろう」と述懐する。だが、東京にいた笑子に2011年3月11日午後2時46分が訪れる。「こんなことになるなんて思いもしなかった」と笑子は思う。笑子は神戸のときとの違いをこう考える。

阪神・淡路大震災のときもたくさん人が亡くなり街は崩壊したけれど、形あるものは時間をかけて元どおりになっていった。けれど今度の震災は、形あるもの以上に人間を壊した。」(295頁)

それは新たな形をとった。

「嫌なニュースが連日流れてくる。インターネットのせいだ。家で安全な場所にいるものたちが、社会を、人を罵倒する言葉を繰り返す。」(295頁)

既視感がある。米大統領選後、同じような言葉がインターネットに溢れていた。

現代のクロニクルとして、神戸・京都・東京で1995年から2015年までを過ごした笑子の生き方をえがく小説。笑子(えみこ)と運命の出会いをする兵吾(へいご)が、同じ母音 /e/, /i/, /o/ を有するのは偶然なのか。

日本を変える史的断面を生きた人びと。その人間模様を描き出した小説として余韻が残る。

 

 

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情人 (幻冬舎単行本)

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