笑いの奥に話の神髄が
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この話にはよく「奥」が登場する。
小惑星の観測を指揮する教授と酒とが不可分であることを説明するのに「彼の業績の大半はアルコールの霞の奥から何の前触れもないままいきなり現れたのだ」などという。彼を師と仰ぐ学生にもその観念は浸透している━━「先生は酔っているように見えるかもしれない。しかしそれはお前の目の錯覚である。分厚いエタノールの大気の奥をこそ見よ。大気の奥に隠れた地殻と、そのさらに奥で進行しつつある偉大なる超高温超高圧の物理現象をこそ見よ」
引用してみて初めて分かったのだが、この短い言葉に二回も「奥」が出てくると記憶していたが実際に数えてみるとなんと三回も「奥」が出てくる。よほど奥深いのだ。
このような人物であるからこそ「超越的な思索家」と呼ばれるのだ。笑いの奥にこの話の神髄があるという。また、学問と社会との関係が「聞き手の立場によっては雑談ともとれる〔この〕講義の神髄なのだ」とも書いてある。いうのを忘れたが、本短篇はその教授の弟子であった「私」の最終講義の形で語られる。
<『マシアス・ギリの失脚』の執筆の過程で生まれた短篇>ということだ。すると1993年ころ。ユーモアや風刺を前面に押し出した作品。題材は南の島での天文観測。その島で出会う若い女性とのロマンスも匂わされる。いろんな要素のどれも昇華されることもなく、突き詰められることもない。短篇小説といえるほどの完成度もなく、ノヴェッラ(小品物語)というところ。
アステロイド観測隊 |