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詩の塊を宿した散文作品


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梶井基次郎『檸檬』

 

 詩人・小説家の小池昌代が「人生を変えた一冊」に挙げていた。檸檬という核を置く。爆弾のように作品の中に置くというやり方が、まるで詩だと。

 中学生のときに初めて読んで、そう思ったという。ともかく詩と名のつくものなら、なんでも言葉狩りのように、コレクタのように集めたり読んだりしていた時期のことらしい。

 まず、「檸檬」という難しい漢字が素敵だなあと。出だしの<えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓へつけてゐた>に見られるような、鬱屈をかかえた主人公というのはものすごく孤独である。その心象風景が中学生だった自分と重なったのだという。

 すごく短いのだけど、散文なのだけれど、レモンという核が一個あって、それが作品のなかに爆弾のように仕掛けられている。仕掛けは本当に詩だと。散文でも詩って書いていいんだ、書けるんだと思ったという。それで、そういう勇気をもらったと。書くということに意識が向かったのだと。(BSフジ「原宿ブックカフェ」第44回、2014年8月1日放送)

 いろいろと考えさせられる。散文と詩の問題。核(になる言葉)を作品のなかに置き、それを仕掛けとすること(米詩人ウォレス・スティーヴンズの 'Anecdote of the Jar' における 'jar' など)。小池昌代の小説作品に見られる核のような言葉から広がる世界(短篇「女房」における「女房」という言葉など)。

 英詩人ロレンス・ダレルキプロス島をレモンの島として描いた詩 'Bitter Lemons' を一度読んだひとは、暗闇のなかにぼうっと浮かび上がるレモンの色が忘れられず、いつしか自分の心象の風景のようになってゆく。散文ながら梶井基次郎はそういう印象をつくりだす作品を書いた。

 番組では言及しなかったが、中学生・小池昌代が集めていた「詩」という字は作品中に三回出てくる。おそらく、目を捉えて離さなかったのはレモンの味について書いた〈全くあの味には幽かな爽かな何となく詩美と云つたやうな味覺が漂つてゐる〉という文ではなかったか。詩美とはまれな言葉で、めったにお目にかからない。中学生の目には衝撃だったに違いないと思うのである。

 

檸檬 (280円文庫)

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